ジャストシステムの一太郎が販売差し止めの判決を受けたことは、各紙の一面で報道されていましたので、多くの人が関心を持って読まれたことでしょう。
しかし、WindowsにMS Officeがプリインストールされているのが当たり前のご時世では、「一太郎って誰?」という人も少なくないと思います。
わたしは初代一太郎の頃からのユーザーでしたから、特別の思い入れがあります。当時は、一太郎がフロッピーディスク1枚あるいは2枚で動いていました。
それでも、一太郎Ver.3の頃にはかなり完成度が高く、通常の文章を書くには書くためには、何の問題もないほどでした。もちろん、今から考えれば、ATOKの変換精度や全体の応答速度は決して十分ではなかったと思いますが、当時は、画期的なワープロソフトに興奮したものです。
ちなみに、かつてはATOKは一太郎でしか使えないようになっていました。MS-DOSの時代の話ですが・・・(あ~、もうMS-DOSなんて死語なんでしょうね)
今でもワープロソフトとしては、Wordより一太郎の方が数段優れていると思います。しかし、Wordを含めMS Office製品が市場を席巻していく有様をつぶさに見てきた者にとっては、「悪貨が良貨を駆逐する」という印象をぬぐうことはできません。
MS Officeのラインナップの中で、文句なしに優れているのはExcel だけです。かつて、Lotus 1-2-3という好敵手もいましたが、1-2-3 もExcel に破れました。
Excel をのぞけば、MS Officeは、その品質においてユーザーを獲得してきたというよりは、やはり「寄らば大樹の陰」という消費者心理を巧みに利用してきたと言えるでしょう。Windowsともども、戦略による勝利です。
Accessは一般の人が使う機会はあまりないかもしれませんが、これは初心者にはまったく不可解ともいえるくらいにユーザーインターフェイスが未成熟なデータベースソフトです。 FileMaker Proや、かつての桐(管理工学社)の方が、はるかに、初心者に対しデータベースへの敷居を低く設定しています。
各分野で新進気鋭のソフトが競い合っていた時代は、ソフトを使う際にも、切磋琢磨し合っているような清らかさ精神性が満ちていたように思います。今は、「長いものに巻かれよ」という安全哲学に消費者は従うのがもっぱらです。
わたしもその例外ではありませんが・・・ 今や、(諸般の事情により)Windowsの上でWordを多用し、一太郎と向き合うことはごくまれです。マイクロソフト帝国の軍門に下り、ビル・ゲイツに税金を納める、よき奴隷民の一人であると言えるでしょう。
かつて、同志社大学でもWordと一太郎が共に利用できていた時代がありました。今は、コスト削減という理由で、基本的なソフトはマイクロソフトのものだけです。
そういう変化のさなか、「大学が、市場原理に従って、MS製品だけを導入するのは、多様な学びの環境を放棄することになるのではないか。OSもソフトも、一般家庭や市場とは違う可能性を提示することこそ、大学の情報環境にふさわしいのではないか」などと息巻いていたこともありました。
もちろん、わたしの抵抗などむなしく敗れ去り、同志社大学もめでたくマイクロソフト帝国の植民地となっています。
これが現実ですが、今回の一太郎事件をめぐって、かつてのいろいろな雑念が思い返されました。