小原On-Line

小原克博: 2011年9月アーカイブ

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 9月24日、CISMOR講演会「中国における宗教── 一神教に焦点を当てて」が開催されました。三名の中国人研究者に、それぞれ中国におけるユダヤ教、キリスト教、イスラームについて話していただきました。中国における宗教の研究自体が、まだ日本では十分になされていませんが、このような三つの宗教を組み合わせ、中国人研究者に話してもらうというのは、おそらくこれまでなかったことだろうと思います。
 パネルディスカッションでは、それぞれの宗教の政府との関係や、宗教研究に対する許容度が、近年非常に高くなってきていることなどについて質問し、答えていただきました。
 今回も、簡単なメモをつけておきます。関心ある方は以下をご覧ください。今後も、東アジアのコンテキストを意識した講演会を定期的に行っていきたいと考えています。
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 明日、CISMORの国際会議「中国における宗教── 一神教に焦点を当てて」のために来日された南京大学の徐 新(Xu Xin)先生をお迎えしました。
 空港で両替するのを忘れられたため、日曜日・休日でもやっている大丸の両替コーナーに行って、ついでに近くのラーメン屋でラーメンを食べました。ふらっと入ったのですが、入ってからそのお店が「中国麺飯店」と記された中華料理を出すお店であることに気づきました。とはいえ、かなり日本化、京都化された中国風ラーメンで、徐先生も珍しそうにメニューを見ていました。あっさり系の鶏ゆず塩ラーメンを注文し、おいしそうに召し上がっていました。
 明日は、三名の中国人研究者を中心に、公開講演会と研究会がもたれます。
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 久しぶりにオニヤンマを見ました。
 遠くから、そーっと撮影しましたが、感づかれてすぐに逃げられました。かろうじて撮影できた一枚が右の写真です。
 体長15センチくらいで、トンボの王様としての風格があります。
 私が子どもの頃は各種トンボが空を飛び交い、オニヤンマも頻繁に見かけましたが、最近は、かなり減っている様子です。川の汚れをはじめとする自然環境の変化(悪化)が原因のようです。
 昆虫少年の私としては、虫であふれかえる夏から秋にかけての季節は、うれしいです。虫を見て、気持ち悪いという人の気持ちが、なかなか理解できません。「生物多様性」をもっとも体現しているのが昆虫の世界だと思います。実に不思議で精妙な生き物がたくさんいます。
 CISMOR Interviews に新しい動画を追加しました。延世大学(ソウル)の教授で、現在、同志社大学神学部の客員教授として京都に滞在しておられる趙 載國先生にインタビューしたものです。
 韓国の一般的な教会事情や歴史的な経緯から、教会と政治との関係、世界宣教(イスラーム世界への宣教)、北朝鮮との関係、平和運動(済州島での海軍基地建設反対)まで、かなり幅広いテーマを取り扱っています。
 最初は20分くらいで、とお願いしていたのですが、あれこれ話を聞いているうちに、40分以上のインタビューになりました。下の動画では少しカットして36分程度に編集しています。少々長いインタビューですが、韓国のキリスト教に関心のある方には、聞き応えのある内容になっていると思います。

 9月6日から7日にかけて、同志社大学を会場にして、日本基督教学会 第59回学術大会が開催されました。その最後のプログラムとして、シンポジウム「生命科学・倫理・キリスト教」がありました。

 司会: 水谷 誠 氏(同志社大学神学部教授)
 パネリスト1: 井原康夫 氏(同志社大学 生命医科学部教授)
 パネリスト2: 葛原茂樹 氏(鈴鹿医療科学大学 保健衛生学部教授)
 パネリスト3: 土井健司 氏(関西学院大学 神学部教授)
 パネリスト3: 小原克博 氏(同志社大学 神学部教授)

 ご覧の通り、医学 対 神学のような組み合わせでしたが、実際のパネルディスカッションでも考え方の違いが、しばしば鮮明になりました。しかし、異なる領域をつなぐ議論がある程度できたと思います。
 共通の課題として認識されたのは、どこまで延命すればよいのか、という線引きの問題です。西欧では、その線引きが比較的鮮明になされ、結果的に、病院で長期寝たきりとなる患者はほとんどいません。それに対し、日本では、人間と動物、自然の間に線引きをしないように、自己決定できる患者ともはやそれができない患者との間にも線引きをしないということです。結果的に、寝たきりの患者、胃ろうを設置する患者が西洋と比べ、圧倒的に多いということになります。
 こうした議論の中で、私が強調したことの一つは、日本の医療現場で患者の自己決定権をきちんと確保すべきであるという、ある意味、当たり前のポイントです。しかし、現実には、インフォームド・コンセントの不徹底、患者を置き去りにして家族と医者がすべてを決定してしまうという現実は、いっこうに変わる気配がありません。
 私は、キリスト教が日本の医療現場に貢献できる点として、イエスに由来する「個の倫理」をあげました。人間の尊厳を補完しうる家族関係、社会関係ももちろん大事なのですが、日本の医療状況から考えれば、まずは「個の解放」をしなければならないということです。
 医療資源は限られています。少子高齢化はとどまることなく進行していきます。現状を放置しておくと、医療(特に終末期医療)に起因する負担に日本社会は耐えられなくなる可能性があります。
 私の講演部分を下につけておきます。

 関西学院大学で開催された日本宗教学会 学術大会でパネル「「日本宗教史」を大学でどのように教えるか」に参加し、発表「「日本宗教史」の教え方──特に一神教の論じ方と関連して」を行いました。宗教学5「日本文化の中の宗教──古代からグローバル時代に至る宗教のポリティクス」をベースにして話をしました。
 以下にパネルの趣旨説明文(大正大学・星野英紀先生が代表者)をつけておきます。私を含め4名の発表があり、その後、パネルディスカッション、フロアーとのディスカッションがありました。

 日本は「生きた諸宗教の博物館」であるとかつて言われたことがあった。さまざまな宗教伝統が長い歴史のなかで並列的に位置しながら相互に影響を受け、現在も日本人の日々のなかに生き続けているというような意味であろう。このことが日本のみの特徴であるかどうかは別にして、ある程度首肯できる事実ではなかろうか。
 それではその多様さのなかで確立している「日本宗教史」をトータルにかつコンパクトで適切に、大学で教えることはいかに可能であろうか。宗教の人間社会と文化に与える影響は多様である。高度の抽象的思想から日常的行動まで、社会の支配層から大衆層まで、それはきわめて広範囲である。初等、中等教育での宗教の扱い方とも絡んで、日本の大学における日本宗教史の講義はなかなか工夫がいると考えられる。
 とくに、現代は、異文化教育、異宗教教育の必要性が主張されるようになった。日本国内に在住していても、さまざまな外国人としばしば接触、交流する機会の多い時代である。また外国へ仕事、プライベートを問わず出かけるチャンスもまたごく当たり前である。こうした異宗教文化への理解はいまや欠かせない。その意味からも大学生が、日本人、日本文化がいままでどのような宗教伝統と接触融合してきたかを知ることは大切なことと考える。
  本パネルでは、1セメスター15回の講義で、対象は1,2年生向けの一般教養科目のうちの講義科目という想定の下に、いかなる「日本宗教史」の講義が可能であるか、各パネラーのシラバス等を資料として議論をしてみたいと思う。パネラー、コメンテータには「日本宗教史」を日頃担当したりあるいは「日本宗教史」の視点で研究を進めている方々をお迎えしている。宗教を大学で教える我々のFD活動という性格もあることは言うまでもない。
 なお本パネルは日本宗教研究諸学会連合との共同開催パネルである。
 台風による強風で、キウイの棚が崩壊しました。プラスチック製だったのですが、前回の台風でひび割れており、今回の台風で支柱が折れてしまいました。キウイを棚から外し、杭を打ち込んで、かなりいいかげんな応急処置のみしました。
 今は仕事がたまり、用事が詰まっているため、棚の再構築はしばらく先延ばしですが、写真付きで後日、報告したいと思います。


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