小原On-Line

小原克博: 2011年7月アーカイブ

 7月30日、CISMOR公開シンポジウムが行われ、私も講演者の一人として話をしました。
 プログラムの概要は下記の通りです。サミール先生に司会をしていただきました。
 とても暑い日だったので、どれくらいの人が来るだろうかと思っていたのですが、用意していたプログラムが足りなくなるくらいの大入り満員となりました。180名を超える来場者があったようです。
 内藤先生、村田先生の話、三人でのディスカッションもおもしろかったので、来場者も楽しんでいただけたのではないかと思います。いずれ、CISMOR YouTubeにアップされる予定です。

 取り急ぎ、私のプレゼン資料をアップしておきました。



◆ 第1部:講演
"宗教は民主主義に必要か" 小原克博(同志社大学神学部教授、CISMORセンター長)
"「アラブの春」への懐疑" 内藤正典(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授/研究科長、CISMOR幹事)
"オバマの苦悩"      村田晃嗣(同志社大学法学部教授/法学部長、CISMOR幹事)
◆第2部:パネルディスカッション
パネリスト:小原克博、内藤正典、村田晃嗣
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 7月29日、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の院生発表会と交流会が大谷大学行われました。
 発表のほとんどが仏教関係ですが、テーマが仏典の文献研究となると、さっぱり理解できず、それがかえって心地よかったです。たまに別世界をのぞいてみるのも、いいことです。
 ただし、高い専門性を持つことと、それをわかりやすく説明することは、両立しないわけではありませんので、徐々に工夫できればと思います。
 いずれにせよ、お互いにまったく知らない分野に耳を傾ける機会があるというのは、大学院生たちにとっては大事なことです。たこつぼ的専門性に身を潜めて研究するのもアリですが、現状ではそれがあまりにも多いので、専門性や宗派・宗教を縦断して研究・教育の視野を広げていくことが、K-GURSの目的の一つであると言ってよいと思います。
 研究発表会のあと交流会が行われました(写真)。新たな交流が構築されていく中で、着実な変化が積み上げられていくことを願わざるを得ません。
 ノルウェーでのテロに関連して、キリスト教原理主義について、7月24日記事(「ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?」)7月27日記事(「右翼思想とキリスト教原理主義の関係──アメリカとヨーロッパの違い」)で記しましたが、この勢いにまかせて、今日は、近代日本における原理主義について簡単に記しておきたいと思います。
 先の記事でも触れたように、日本では「原理主義」と聞くとそれを暴力やテロの原因として短絡視してしまう傾向があります。しかし、原理主義が内包する問題の広がりは、決して外国での話ではなく、我々の歴史の一部にも深く関係していたことを知っておくことは大切です。
 原理主義をどのように定義するかは、専門的な学問領域でも論争を引き起こしてきましたが、ここでは簡単に狭義と広義の理解を示しておきます。狭義の理解では、原理主義は、20世紀初頭のアメリカ・プロテスタントの文脈で理解されるキリスト教原理主義として理解されるべきです。これが原理主義の原義と言ってもよいでしょう。他方、広義の理解ではキリスト教に限定せず、他の宗教や運動における同様の傾向性に注目します。私の場合、「近代化・世俗化に抵抗しつつ、それを超える文明論的な原理を掲げる、思想的・政治的な運動」(小原・中田・手島『原理主義から世界の動きが見える』PHP研究所、2006年、32頁)と定義しています。
 広義の理解に立てば、国家神道を近代国家形成のための基軸に据え、欧米に抵抗しようとした近代日本の国家体制は、原理主義的傾向を持っていたということができます。また、それは神道に限らず、仏教にも多かれ少なかれ見られた傾向でした。そのあたりのことは、少し前のものになりますが、以下の研究発表で触れています。

「近代日本宗教史の中の「原理主義」―キリスト教原理主義との比較」、京都・宗教系大学院連合 第2回「仏教と一神教」研究会

 細部はともかくとして、ここで私が言いたいのは、「原理主義」と聞いて、それを外国における暴力・テロの原因として直結してしまうのではなく、私たちの歴史の一部にも、類似の構造があったことを認識することを通じて、問題の普遍性を理解することに努める必要があるということです。

 なお、このブログにおける原理主義関係の記事は以下のタグからご覧いただけます。

■ KOHARA BLOG:「原理主義」
 7月24日記事(「ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?」)に引き続き、ノルウェー・テロにおける課題を整理しておきたいと思います。原理主義に関する本や論文を書いている以上、私も「原理主義」(ファンダメンタリズム)についての専門家の端くれですから、今考えていることを明らかにしておくことは、私の社会的責任であると思います。
 ここでは、特に右翼思想とキリスト教原理主義の関係、そしてそのアメリカとヨーロッパの違いなどに焦点をあてます。

 ヨーロッパにおける右翼思想・運動のほとんどは世俗的です。宗教(キリスト教)との接点をほとんど持っていません。ただし、近年、各国に現れている極右団体が、移民排斥の態度を取り、結果的に反イスラーム的なイメージを強めていることは事実です。
 それに対し、アメリカにおける右翼思想・運動は、キリスト教保守勢力(宗教右派)と結びつくことがあります。保守層においては、愛国的であることと、キリスト教的であることが一体的に理解されています。1980年代以降、キリスト教保守勢力が政治活動を活発化させ、大統領選挙においても影響力を及ぼす存在となっていることは、今や広く知られています。

 近年、ヨーロッパでは、極右団体に限らず、政治的保守層においては移民に対するネガティブな姿勢が強まっています。ただし、公的な場におけるイスラーム的象徴を拒絶する動き──フランスにおけるブルカ着用の禁止、スイスにおけるミナレット建設の禁止など──は、世俗的な動機付けによっているのであり、ムスリムに対する排他的態度がキリスト教によって支援されることは、通常あり得ません。ちなみに、ブルカ禁止もミナレット禁止も、それぞれの国のキリスト教会が法案反対の表明を出していました。
 以上のように、世俗主義的な右翼思想がヨーロッパにおける基本型であることを考えると、今回のノルウェー・テロの容疑者は、かなり特殊な例であると言うことができます。少なくとも、容疑者が何か特定のキリスト教原理主義運動を代表しているわけではなく、また、そうした実体がない以上、「キリスト教原理主義者」と自称することは、自らの信念の表明ではあり得ても、社会的な意味はほとんどないと言ってよいでしょう。

 それと同時に確認しておかなければならないのは、次の点です。
1)潜在的には、どの国においても、移民(特にムスリム移民)をめぐって、寛容(受容)と拒絶の間の緊張が高まってきていることを理解すれば、今回の件は、容疑者の個人的狂気として片付けることのできない、根の深い問題を含んでいると言えます。

2)容疑者が特殊な例であるとはいえ、移民排斥の論理としてキリスト教の「十字軍」「殉教」といったイメージを積極的に使っていたことは、西洋キリスト教とイスラームとの歴史的関係を、繰り返し見直していかなければならないことを示しています。キリスト教側が、この件をただ単純に例外的事例として「外部化」してしまうことは禍根を残し続けることになります。キリスト教界は、容疑者の聖書解釈の間違いを批判すると同時に、自らの伝統に対しても批判的な反省の目を向ける必要があります。

3)日本における、このニュースの受け止め方の中には「やはり、宗教が原因になっているのか!」と原因を短絡視しているものが少なくありません。宗教が絡んでいることは確かですが、それを直接の原因と考えてしまうと、微細な問題をすべて見過ごしてしまうことになりかねません。これは、日本社会において、もっとも注意しなければならない点であると思います。また、移民問題(移民蔑視)は日本にとって人事(ひとごと)ではありません。今回の事件をただ惨劇の一つとして消費し、忘れていくのではなく、自国の多文化主義、移民政策のあり方を考える、きっかけとすべきでしょう。
 以下のように、今週末、CISMOR公開シンポジウムが予定されています。お近くの方、お越しください。
 内藤先生、村田先生とも、話し上手なので(もちろん内容もしっかりしていますが)、きっと楽しんでいただけると思います。

同志社大学一神教学際研究センター 公開シンポジウム

【日時】
2011年7月30日(土)13:00〜15:15
【会場】
同志社大学今出川キャンパス 明徳館1階 М1教室

【講師】
小原克博(同志社大学神学部教授/CISMORセンター長)
内藤正典(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授/研究科長、CISMOR幹事)
村田晃嗣(同志社大学法学部教授/法学部長、CISMOR幹事)
 
【詳細】
◆ 第1部:講演
"宗教は民主主義に必要か" 小原克博(同志社大学神学部教授、CISMORセンター長)
"「アラブの春」への懐疑" 内藤正典(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授/研究科長、CISMOR幹事)
"オバマの苦悩"      村田晃嗣(同志社大学法学部教授/法学部長、CISMOR幹事)
◆第2部:パネルディスカッション
パネリスト:小原克博、内藤正典、村田晃嗣
 7月22日、ノルウェーで起こった連続テロ事件の背景や容疑者の動機については、今後の調査を待つ必要がありますが、多くのニュースで言及されている、犯人が「キリスト教原理主義者」を名乗っている点について、少しばかり述べたいと思います。

 まず、「キリスト教原理主義」の原義はアメリカの歴史的文脈において理解する必要があります。その言葉や運動が、20世紀初頭のアメリカで誕生しているからです。現在のヨーロッパは、全体的に世俗化が進行していることもあって、ヨーロッパには、アメリカのキリスト教原理主義に対応するような組織は存在していないと言ってよいでしょう。
 もちろん、今回、テロの容疑者が「キリスト教原理主義者」を名乗っていることからもわかるように、個人のレベルでその言葉を解釈し、自己理解とすることは可能です。しかし、アメリカの原理主義運動が持っているような組織的な宗教・政治的活動とは次元が違うことを認識しておく必要があります。
 おそらく、ノルウェーのテロ容疑者の場合には、宗教的動機付けが主軸にあるというよりは、彼の持つ右翼思想を正当化する論理の一部としてキリスト教に依拠していたのではないでしょうか。その理由の一つには、容疑者が持っていたと言われる反イスラーム感情があります。反イスラーム的態度を正当化するために、彼にとっては保守的なキリスト教思想が利用しやすかったのかもしれません。
 実際、現代のキリスト教原理主義、あるいは、宗教右派の運動の一部には、明確な反イスラーム的態度が見られます。昨年、世界でももっとも話題になった例をあげれば、フロリダ州の牧師、テリー・ジョーンズが、9.11にあわせてコーランを焼く計画を立て、大騒動になった事件がその典型的なものです。
 今回のテロの容疑者が、どの程度キリスト教の影響を受け、どのような意味で「キリスト教原理主義者」と名乗っているのかを確かめるためには、もっと詳細な背景情報が必要です。今の段階で言えるのは、彼の右翼思想の一部となっていた移民排斥・多文化主義批判および反イスラームの態度が、保守的キリスト教の排外的な思想を引き寄せることになったという程度でしょう。しかし、これはこの容疑者だけの問題ではなく、多かれ少なかれ、現在のヨーロッパ全域(さらにはアメリカ)に見られる傾向であり、この事件だけを、時代の文脈から孤立させて特殊化してしまうのは、よくないと思います。
 アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、社会が寛容に向かい過ぎることを嫌う人々がいます。その場合、寛容に抵抗するための論理が何らかの形で求められることになります。今回の場合、容疑者はその論理を「キリスト教原理主義」と呼んだのではないでしょうか。

 なお、今回の事件に関連して、たくさんのニュース記事が出ていますが、比較的丁寧に思想的・社会的背景を記しているものとして次の記事を示しておきます。


 このブログの関連記事として以下のものがあります。


 また、事典項目として「原理主義」について記したものがありますので、関心ある方は参考にしてください。

「キリスト教原理主義」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年
「宗教的原理主義の台頭」、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善、2010年

 原理主義の問題については、共著『原理主義から世界の動きが見える』(PHP新書、2006年)に記しましたが、今回の件に関連しそうな部分「現代の原理主義:宗教右派の特徴」(p.145以降)を、参考まで以下に引用しておきたいと思います。

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 7月20日にリリースされた Mac OS X Lion を早速インストールしました。
 まだ新機能のすべてを試していませんが、全体としては、さらに使い勝手が向上したという印象です。
 今回、画期的だったのは、メディアによる販売がなくなり、Mac App Store 経由でダウンロードする形になったことです。ついにOSをダウンロードして、インストールする時代になったのかと、ちょっと感慨深いです。ファイルサイズは3.5GBですから、時間は多少かかりますが、通常のインターネット環境であれば、15分ほどでダウンロードできるのではないでしょうか。
 OSはコンピュータにとっては、世界そのものですから、それが刷新されるというのは、やはり気持ちのよいものです。
 ちょっとびっくりしたのは、スワイプの動きとスクロールの移動方向とがこれまでと逆転していたことです。指を上にスワイプさせると画面は下方向に移動します。これが「ナチュラル」だとのことです。慣れるまで、ちょっと時間がかかりそう・・・
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 先日、4匹いる犬のうち、もっとも暴れん坊のノエルが突然下半身を動かすことができなくなりました。病院にいったところ、椎間板ヘルニアの疑いがあるとのこと。後ろ足やしっぽにまったく力が入らないという危ない状態でしたので、急遽、MRIの設備があある京都南部の病院まで出かけてきました。
 MRIの結果、やはり椎間板ヘルニアで、即、手術となりました。
 おそろしいほどの暴れん坊であっただけに、前足だけでもそもそと這っている様子は、見ていても痛々しいでした。手術は無事成功し、今、入院しています。

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 ダックスフントは胴体が長いため、もともと、椎間板ヘルニアになりやすいということは知識としては知っていましたが、実際になってしまって、かなり狼狽しました。
 背骨と背骨の間にある、やわらかい組織が何らかのショックで飛び出して、脊髄神経を圧迫し、体の一部を麻痺させるというものです。
 左は、MRIの写真(脊髄の断面写真)ですが、こうした技術がなかった時代であれば、間違いなくノエルは残りの人生(犬生?)を半身不随で過ごすことになったはずです。

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 これから家でリハビリなどをしながら、回復の具合をうかがうことになりますが、改善していくことを願うばかりです。犬は痛くても、痛いと言えないので、ある意味、人間以上に心配してしまいます。
 右の写真は、入院先の病院での一コマ。背中の毛を刈られ、手術のあとが痛々しいです。まったく動かなかった後ろ足が、かすかに反応するようになっているのには、ほっとさせられました。
 ノエルは暴れん坊なのですが、一番の甘えん坊でもあるので、1週間の入院生活はかなり苦しかったと思います。もうすぐ退院できますが、しばらく心配は続きそうです。
 基調講演「現代世界と宗教間対話」(日本宗教ネットワーク懇談会主催 シリーズ「いま、なぜ宗教間対話なのか」、慶應義塾大学、2011年7月9日)を追加しました。当日用いたプレゼンテーション資料をご覧いただくことができます。説明なしではピンと来ない箇所もあるかもしれませんが、概要をつかんでいただくことはできると思います。
 宗教間対話の課題(目標)を「結論」としてまとめておきましたが、それを抜粋すると以下のようになります。これまでの対話の経験から得られた実感のようなものでもあります。一つひとつの項目について、軽く1、2時間は話ができそうです。

・具体的な共通課題の設定
日常的な対話的実践、Interfaith NGOの展開
・対話を阻害する力(暴力、紛争)の分析
・(対話を求めない)原理主義的グループとの対話
・宗教の内部における対話(Intra-faith dialogue)
・「宗教」と見なされなかったものとの対話
多様な民俗宗教(民間儀礼)、スピリチュアリティ
・内発的な変化を見届ける。外圧によって変化を強いない。
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 月曜日、河原町三条で、学部のゼミコンパを行いました。
 4名ほど欠席でしたが、右のような顔ぶれで、にぎやかな時を過ごしました。
 今年も、なぜか女性の比率が非常に高いです。私が女子学生に人気があるわけではなく、男子学生の積極派がちょっと少ないせいだと思います。
 授業時間中は、発表や質疑応答を滞りなく進めていく必要がありますので、なかなか、ざっくばらんな話をする時間がありません。今回、ゼミコンパでいろいろな発見があり、もっと早めにやるべきだったと思うほどでした。
 たとえば、数名の方が iPhone を持っていたのですが、Evernote や DropBox など、大学生必須アプリを知らなかったり、また、iTunes U も知らなかったりと、「えーっつ、ほんまに知らんのー?!」を連発してしまいました。大学生ならこれくらい知っているだろう、という思い込みを排して、しっかりと基本を伝達する必要があることを感じました。
 また、私に対する質問。「Windows 詳しいですか?」とか、「(アニメ)攻殻機動隊、見たことありますか?」とか。私の経歴をよく知っている人であれば、苦笑するような質問ですが、こうした質問は、かえって新鮮です。
 パソコンおよびアニメの分野で、私はオタクのファースト・ジェネレーションに属しているということを、今時の学生さんたちは知りませんので、これから、教え甲斐があります。
 たくさん話して、打ち解けて、これから、しっかり学びも深めていきたいと思います。
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 7月9日(土)、慶應義塾大学(三田キャンパス)でシンポジウム「いま、なぜ宗教間対話なのか」(第1回「壁は乗りこえられるのか?―対話の現場から―」)が開催されました。
 私は「現代世界と宗教間対話」というテーマで基調講演をし、その後、パネルディスカッションに加わりました。
 仏教、神道などをベースにした対話の取り組みについても報告がなされ、その後、宗教間対話をめぐる熱い議論が交わされましたが、それと同時に、現代社会において、そもそも宗教がどのような役割を果たすことができるのか、といった点にも話は及びました。
 私は講演の中で、日本の宗教間対話は切迫感のないサロン的なものであることが多い、といった発言をしたことから、それをめぐって賛否両論が出されました。
 より質の高い対話を求めていくためには、現状肯定的な話ばかりでは役に立ちませんので、あえて苦言を呈するような言い方をしましたが、結果的には、よいやり取りができたと思います。
 2ヶ月前に我が家にチワワの赤ちゃんがやってきました。名前はクララです。
 すでに3匹のダックスフントがいますので、私はかなり抵抗したのですが、あえなく撃破。
 しかし、猛烈にかわいいのは確かで、最初の心配はどこに行ったのか、今や3匹も4匹も同じだと、開き直っています。
 パピヨンの血が混じっているようで、最初はチワワとはわからないような顔つきだったのですが、2ヶ月経つ内に徐々にチワワになってきました。下の動画は、それが如実にわかるように、ビフォー・アフターの二部形式になっています。
 いやー、こんなにも変わるんですね。耳の変化が特にすごいです。
 目下の課題は、先住のダックスたちとの共存。二匹とは仲良くなったのですが、ノエルという雄ダックスはなかなか凶暴で、今も簡単には一緒にできません。というのも、オオカミのように大きな口を開け、子羊のようなクララにかぶりつこうとするからです。さて、これからどうなるのか・・・ 後日談を報告できればと思います。
 まずは、下の動画をお楽しみください。

 ちなみに、他の犬たちの動画は次のプレイリストの中から見ることができます。


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 7月5日、アフガニスタンから帰国された中田先生より、最近の様子をうかがう機会がありました。アフガン・センターとグローバル・スタディーズ研究科の共催プログラムです。
 「アフガニスタン和平を目指して」と題する講演の案内文は以下のようなものでした。

米軍の侵攻によるアフガニスタン・イスラーム首長国(タリバン)政権の崩壊から10年が過ぎた現在、カルザイ政権と米NATO占領軍の失政により、一旦は壊滅したかに見えたタリバンは年を追うごとに支持を回復しつつあり、現在はアフガニスタン全土の70%がタリバンの支配下にあるとも言われる。米国外交もタリバンとの舵を切ったと言われる。ビン・ラーディンーがパキスタン国内で殺害され、和平への障壁の一つが消滅した本年はアフガニスタン和平の岐路となることが予想される。本発表は、アフガニスタンの現地報告を交えて和平への提言を行う。

 今や、「タリバーン」は国民の抵抗の象徴と言えるまでに力を取り戻してきています。しかし、今なお、外部の世界からはタリバーンの実態はつかみずらいです。実際にタリバーンに属していない人までもが、タリバーンを自称して行動を起こしているとなると、かなり事態は複雑です。
 しかし、はっきりとしていることは、明らかに力と信頼を取り戻しつつあるタリバーンを、いつまでもテロリスト集団として攻撃するのでは問題は解決しないということ、現政権も、またアメリカ政府もタリバーンとの交渉のチャンネルを開いて、和平の道を模索する必要があるでしょう。
 政権の腐敗の程度もかなり深刻とのこと。道のりは長いですが、これ以上の死傷者を出すようなことは避けなければなりません。
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 7月9日(土)、慶應義塾大学で開催される下記シンポジウムにて「現代世界と宗教間対話」というテーマで話をします。詳細は、右のポスターおよび下の案内をご覧ください。

シリーズ「いま、なぜ宗教間対話なのか」第1回シンポジウム「壁は乗りこえられるのか?―対話の現場から―」

【日時】2011年7月9日(土)13:30-17:30
【場所】慶應義塾大学三田キャンパス西校舎3階532教室

今回のシンポジウムでは、「壁は乗りこえられるのか―対話の現場から―」と題し、宗教間対話の三つの現場報告を行ない、その経験と知見を参照軸としながら、宗教間対話を阻害する要因や促進する要因を明らかにするとともに、宗教間対話の可能性をラウンドテーブルで議論してみたい。宗教間対話を深化させようとする我々のこうした対話の実践が、宗教性そのものを深め、宗教間の対立や葛藤を克服し、広く世界平和に貢献することを切に希望するものである。ご関心をお持ちの皆様の多数のご参加、ご協力をお願いしたい。

参加希望者の方は、kashio@flet.keio.ac.jp までご連絡ください。

【主催】日本宗教ネットワーク懇談会
【連絡先】港区三田2-15-45 慶應義塾大学 樫尾直樹研究室
【URL】http://on.fb.me/m5jfxB
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 7月2日、東京大学で開催された Religious Studies in Japan の編集員会(日本宗教学会)に出かけてきました。よいお天気で安田講堂も映えていましたが(右写真)、やはり東京も暑かった! 本郷三丁目からわずかの距離を歩いただけで、汗だくになりました。
 日本宗教学会がその研究成果を国際化していこうということで、英文ジャーナル Religious Studies in Japan を発刊しようということになったのですが、やはり立ち上げには何かと課題が多いです。
 すでに原稿の募集は始めているのですが、まだいくつかクリアーしなければならない問題が残っています。何をするにしても、立ち上げ段階が一番大変です。継続するのも大変ですが・・・
 最初からすごいものを目指さずに、少しずつよいものに育てていくことができればと、個人的には考えています。
 小原克博 On-Line のトップページにYouTube動画のスクロールを入れて、最新の動画をすぐに再生できるようにしました。各動画をクリックすると、フローティング状態で開きます。
 また、YouTubeの KOHARA CHANNEL に背景画を追加しました。YouTubeパートナーになったおかげで、バナーの設定など、細かい設定ができるようになりました。
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 6月29日、Doshisha International Conference on Humanitarian Interventionの二日目のセッションがありました。午前中は参加できなかったので、午後からのセッションに参加しました。グローバル・スタディーズ研究科の学生たちによるロール・プレイングを通じて、仮想的な紛争国家に隣国や国際社会がどのように介入すべきか、を考えるセッションでした。学生たちが仮想的な国や国連、NGOなどの代表を務め、立場表明をし、それに対してフローからも多数の質問が投げかけれられました。
 矢継ぎ早の英語の質問に対し、時々、とまどいも見られましたが、全体的にはしっかりとした対応をしており、十分に準備して本番に臨んでいることが、よく伝わってきました。こうした準備も、サネ先生が深く関わっているようです。
 学生主体の企画を通じて、将来の教育のあり方なども考えさせられ、私自身にとってもよい刺激となりました。
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自己紹介

近  著

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