小原On-Line

小原克博: 2011年5月アーカイブ

 CISMOR Interviews に「革命後のエジプトの現状と課題」を追加しました。今回は、カイロからの帰国に合わせて、先週末のCISMORの講演会・研究会に参加してくださった石合力さん(朝日新聞社 中東アフリカ総局長)にインタビューしました。
 石合さんはCISMORの共同研究員ですが、忙しい中でも時間が合えば、必ず講演会・研究会に参加してくださる方で、今回も日本での限られた滞在時間の中で都合をつけ駆けつけてくださいました。
 はるばるカイロから同志社に来られるのであればと、この貴重な機会を利用して、エジプトの現状についてお聞きした次第です。カイロの様子、ムスリム同胞団をめぐる状況、コプト教会をめぐる問題、アメリカやイランとの関係など、幅広いテーマで話をしてくださっています。

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 5月28日、CISMOR講演会「ヨーロッパにおける宗教間対話──ユダヤ教・キリスト教・イスラームの関係をめぐって」が開催されました。講師は、ジョナサン・マゴネット教授(英国レオ・ベック・カレッジ名誉教授)。
 マゴネット先生はロシア系ユダヤ人で、ヘブライ語聖書の専門家ですが、ラビでもあります。長年、ヨーロッパにおけるユダヤ教・キリスト教・イスラームの間の宗教間対話の指導的役割を果たしてこられました。その意味では、今回の講演テーマは、実にCISMORにふさわしいものでした。
 世俗化しつつあるヨーロッパの現状、そして同時にムスリムがキリスト教に次ぐ第二の宗教となっている状況を踏まえながら、ご自身がどのようにして宗教間対話にかかわるようになってきたのかを話されました。
 聞いていて痛感したのは、ヨーロッパでは三つの一神教が対話しなければならない切実な現実があるということです。ホロコーストを経験したヨーロッパでは、ユダヤ教とキリスト教の対話は終戦後切実な課題として始まりました。そして、かつてディアスポラのユダヤ人がヨーロッパにおいて抱えていたのと似たような事情を、各国で増えているムスリム移民が抱えています。ムスリムとの対話に背を向けることのできる国は、もはやヨーロッパには存在しないと言ってよいでしょう。
 こうした対話の歴史的必然性を抱えているヨーロッパと、日本とでは、一言「対話」といっても事情がまったく異なります。
 日本における宗教間対話は、一般的に、切実な現実や緊張関係から行われているというよりは、サロン的な気楽さが漂っています。対話のための対話になりがちだ、と言ってもよいでしょう。国際社会における緊張した宗教的現実を受けとめる、というわけでもありません。厳しい言い方をすれば、弛緩した平和をただ唱えているだけのようにも見えます。
 今回、ヨーロッパの事情を学ぶことができただけでなく、そこでの取り組みを聞きながら、日本における宗教間対話のあり方をあらためて考えさせられました。
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 京都市美術館で開催されている親鸞展に行ってきました。これまで、なかなか時間を取ることができなかったのですが、5月29日に終わるので、急ぎ行ってきた次第です。
 終了間際というのに、すごい数の来場者が続々と来ており、驚きました。さすが親鸞聖人、人気の度合いが半端ではありません。
 親鸞の座像や絵など、これまで写真でしか見たことのなかったものを目の前で見れたのは感動ものでした。親鸞の時代のものだけでなく、浄土真宗が広がっていった後の時代の文物も多数展示されていました。
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 現在、YouTube KOHARAにアップされている51本の動画の中で、ダントツに再生回数が多い動画が一つあります。その動画がついに再生回数2万回を突破しました。
 Assyrian Church in Tehran というタイトルをもつ下の動画ですが、右のインサイト統計情報を見ても、ほぼ世界中から視聴されていることがわかります(日本からの視聴はあまり多くありません)。
 この動画は3年前にイランを訪ねたとき、テヘランのアッシリア教会で、たまたま撮影したものです。当初、撮影の予定はなかったのですが、礼拝の時、私の両端に座っていた女性の歌声があまりにもすばらしかったため、あわててデジカメの録画機能を使って撮影を開始しました。古いデジカメで撮影しているため画質はまったくよくありませんが、おそらく、多くの人が礼拝の様子や歌声に関心を示してくださっているのだと思います。
 アッシリア教会そのものが、まだよく知られていませんので、この動画をアップした後、世界のあちこちから質問やコメントをいただきました。

 再生回数の多い少ないは、撮影・アップした私自身の期待をしばしば裏切ってくれるので、ながめているとおもしろいです。下の動画は、何の心の準備もないままにインスタントにとったものですが、予想をはるかに上回る再生回数となりました。それに対し、ヨセミテ国立公園で遭遇した野生熊を命がけで撮影した動画は、なぜかまったく人気なし(現時点で100回にも及びません)。不思議なものですが、それがまたYouTubeにアップするおもしろさかもしれません。
 まだの方は下記動画をご覧になって、なぜ世界中から再生されるのかその魅力を探っていただければと思います。

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 上海で宿泊したホテルのすぐ隣に大きな市場があったので、帰国日の早朝に立ち寄りました。野菜、果物、肉、雑貨など、生活に必要なものがひと揃い並んでいました。日本ではめったに見かけることのない豚の頭や足も平然と置かれていました。
 日本にも、昔はこういうタイプの市場があったと思います。雑然としていますが、そこに不思議な懐かしさを感じました。

市場の外にはちょっとした食べ物も売っているのですが、その並びに、生きた鳥が売られていました。各種ニワトリ、鳩、鴨(のような鳥)、ガチョウなどがカゴの中に入れられています。

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 よく見ると、ここで買われた鳥が隣のスペースで次々にさばかれていっています(左写真の左奥)。最初はショッキングな光景に息をのみましたが、鮮度の高い鶏肉を求める人にとっては、こうした場所が必要だということが次第に理解できました。
 日本では、きれいにパックされた鶏肉をスーパーで買うことに慣れてしまっていますので、命を奪っているという感覚が希薄になっていると思います。
 残酷な光景ではありますが、私たちの命は、他の命を殺す形で成り立っているということを、端的に教えてくれています。他の命を犠牲にしていながら、それに鈍感になっていくことは怖いことです。
 「犠牲」という考えや儀礼は長い歴史を持っていますが、あらためて、現代の課題を考えさせられた次第です。生と死の「生々しさ」を我々はどのように体感していくことができるのでしょうか。そして、それを体感し損なったとき、どのような「いびつさ」が生じてくるのでしょうか。
 「安全神話とは何だったのか」(『京都新聞』2011年5月10日、夕刊)を掲載しました。
 安全神話の崩壊という言い方の中では、「神話」は批判されるばかりですが、神話そのものの中にも、耳を傾けるべき要素があるのではないか、と問いかけている文章です。
 沐恩堂での礼拝風景をYouTubeにアップしました。礼拝中は、あまりうろうろすることができませんので、撮影アングルに苦労しましたが、雰囲気は感じ取っていただけると思います。上海の中でも、もっとも古く由緒ある教会の一つです。ショッピングセンター街にあるため、外国人の姿も多数見かけました。

 ちなみに、今回の動画でYouTube動画50本目となりました。一山越えた、という感じです。

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 上海三日目は、早くも帰国の日となったのですが、飛行場に向かう前に、上海の街中にある沐恩教会の礼拝に出席しました。時間の都合上、最初の30分程度しかいることができませんでしたが、礼拝の様子を垣間見ることができました。
 礼拝堂の中には300名以上の人がいましたが、礼拝堂の外にも、入りきれなかった人のための部屋が複数ありました。礼拝をビデオを使って各部屋に中継しています。
 人数の多さだけでなく、若い人がたくさんいたことも印象的でした。
 礼拝の様子を一部録画しましたので、後日、簡単に編集して YouTube にアップできればと思っています。
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 今日、"Theology of Religions in the Rise of Nationalism" というタイトルで発表しました。こちらに来る前に風邪を引いてしまったのか、のどが痛く、微熱気味。何とか発表を終え、質疑応答も無事こなすことできました。
 二日間で5つのセッションがあるので、かなりの強行軍です。日本からは、私の他、長谷川恵美先生(桜美林大学)、稲垣久和先生(東京基督教大学)が発表されました。稲垣先生は「公共哲学」に
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ついて話されましたが、数々の質問に的確に答えられ、さすがでした。
 韓国、中国をはじめ、国際色豊かなシンポジウムとなり、それぞれのお国事情を、発表や食事の席を通じて知ることができるのは、やはり大きな収穫です。
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 フクタン大学で開催される国際会議 "Is Asia Pacific? Interreligious Encounters, Peace-building and Theological Inventiveness in today's Asia" に参加するために、上海にやってきました。右の写真は、フクタン大学のツィンタワーの前で撮影したものです。
 朝5:30の電車に乗って空港に向かい、上海到着後、少しだけ休憩して、早速、第1セッションが始まりました。
 この国際会議は、日韓神学フォーラムの一環として行われていますので、日本および韓国から15名ほどの参加者があり、その他のアジアの国々や、北米からも参加者がいます。
 余力があれば、明日も簡単に報告したいと思います。
 2006年に行った講演「「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く」を YouTubu にアップしました。
 このときは500人以上の参加者が会場となった同志社大学神学館に押し寄せ、会場に入りきらないため、別教室を二つ用意してビデオをテレビにつなぎました。廊下・階段にも人があふれ、一時はどうなるかと心底心配した経験のある、今となっては懐かしい講演会です。
 さすがに5年前となると、自分が話したこともほとんど忘れており、へぇーとうなづきながら見ました。YouTube 向けに最小限の編集を加えました。動画の上にプレゼンテーション画面を重ねています。
 自分で言うのも何ですが、象徴の解釈やグノーシスの説明など、なかなか楽しめました。ダ・ヴィンチ・コード騒動の世界的な熱狂を思い起こしながら、ご覧いただければと思います。

 内藤正典先生へのインタビューを YouTube にアップしました。
 前回の村田先生同様、質問に対して、よどみなく、かつ的確にお答えくださり、編集いらずで助かります。ちょこちょこっとキャプションをつけて、すぐにアップすることができました。
 ビンラディンがいなくなって万歳!と簡単には喜ぶことのできない課題を、アメリカおよび世界が抱えていることを、このインタビューを通じて考えていただけるのではないかと思います。

 CISMOR Interviews もこれで3本目となりました。継続していけるよう、あまり編集に凝らず気楽にアップしていきたいと考えています。

 最近出たばかりの黒木 登志夫『知的文章とプレゼンテーション──日本語の場合、英語の場合』(中公新書)を読みました。この手の本は、個人的な関心があるだけでなく、学生に薦めることができるかどうかチェックするために、比較的幅広く読んできました。
 著者は、高名な、がん研究者。40年にわたる論文執筆等の経験や英語への取り組みをまとめていますので、こうした先達が伝えるエッセンスには耳を傾けるべきものがあります。

 日本で当然と思われている理系・文系の区別は国際社会ではほとんど意味をなさず、論理的な思考をし、説得的な文章を書くためには、理系・文系の区別など基本的に関係ない、という主張から始まっています。
 著者があげる知的三原則とは「簡潔・明解・論理的」。当たり前と思うかもしれませんが、日本の学術界でも、なかなかこの原則が守られてはいません。
 著者の主張だけでなく、それぞれのテーマに関して、様々な人の意見を紹介してくれているのも、この本の魅力の一つでしょう。私が学生によく紹介する、村上春樹のマラソンと文章執筆の関係についても言及されていました。小説家にとって重要なのは才能のほかに、集中力と持続力。そして、集中力と持続力は、才能と違って、後天的に獲得できる、ということです。
 研究費の審査の部分などは、学生や一般の方にはピンと来ないかもしれません。また、プレゼンテーションについては、それだけで独立した良書がたくさんありますので、この部分は、人によっては、まったく物足りないでしょう。
 しかし、全体的には、学部学生から、知的文章を書きたいと願う一般の方々まで、考えるべき内容を提示してくれる良書だと思います。
 理系と文系の本質的な違いはないと著者は主張しつつも、次の一文は人文系学者に対し、今さらながらの課題を突きつけてくれています。

 「彼ら(人文・社会科学系の学者)の多くは、普遍語というご主人様(注:英語のこと)を無視して、いまだ日本語の世界で生きている。このため、わが国のこの分野の科学は、言語的に孤立し、世界から認知されることが少ない。」

 人文・社会科学系の学者さんたち、がんばりましょう!

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