先日予告していました公開シンポジウム「日本宗教から一神教への提言」が本日行われました。
開始の5分くらい前にすでに座席がほぼ埋まり、立ち見来場者が出てきたため、急遽、パイプいすを搬入して対応しました。神学館礼拝堂にこれほどの人が入ったのは久しぶりだと思いますが、およそ300名の方にお越しいただきました。
山折先生は、昨年12月、パリで開催されたユネスコ主催の国際会議での発表内容を最初に紹介されました。そこでは、遠藤周作を取り上げて、西洋のキリスト教と日本のキリスト教は根本的に違うことを語り、また、しばしば徒労の終わりがちな宗教対話よりも、宗教的共存の現実を見るべきことを主張されたとのことでした。
それに引き続き、隠れキリシタン、多神教とデモクラシーの関係、日中関係と道教、シンガポールでのMixed Religion Temple、イスラエルとインドの巡礼など、旅を中心に縦横無尽に山折節を発揮してくださいました。
パネル・ディスカッションでは、森先生と手島先生にコメントをしていただき、それを片耳で聞きながら、わたしは集められた大量の質問用紙に目を通しながら、取り上げるべき質問をセレクトしていました。森先生の指摘はストレートで、日本における一神教バッシングの問題、また、多神教は本当に寛容で平和的なのか、という指摘でした。これに対して、山折先生は、一向宗などを例にあげながら、日本宗教の中にも非常に排他的な運動があったことを認め、一神教と多神教、それぞれにあるメリットとデメリットを考えなければならないと主張されていました。
この点に関しては、一神教に対し多神教を優位に置こうとするかつての主張はかなり抑制されていたように思います。
ディスカッションでは、宗教とデモクラシーの関係、政教分離の関係、天皇制の問題等々、多岐にわたるポイントを扱いました。まとまりがあったかどうかは別にして、随所で山折先生の日本宗教に関する造詣の深さを感じさせられ、その点では来場者の方々も満足できたのではないかと思います。
最後に、日本宗教が一神教世界に提言できることとは何かと問われて、山折先生が応えた内容には二つありました。一つは、ガンディーの平和思想に対応させ、武家を平和的にコントロールした公家の思想を取り上げ、もう一つは、自然災害などで生き残りが問題となってくるときも、「無常」の感覚を持つことの大切さを説いておられました。
これらが果たして、国際社会にどの程度理解されるかどうか、はよくわかりませんが、いずれにせよ、日本社会が貢献できる内容を紡ぎ出そうとする知的作業としては十分に意味があると思います。どのような提言がより効果的に問題解決に寄与するのかは、今後、私たちが検証していかなければならない課題であると思います。
パネル・ディスカッションにかなりの時間を取ったのですが、それでも始まるとあっという間に終了時刻が近づき、司会者として議論の流れを作るのには苦心しました。どなたも、いったんしゃべり出すと、なかなか止まりませんので・・・(^_^;)
歯切れの良い答えを見つけるのは簡単ではないことを、あらためて思わされましたが、それだけに、日本(宗教)から世界に対し何を提言できるのかは、やりがいのある研究テーマであると思います。