小原On-Line

小原克博: 2006年1月アーカイブ

060128 金曜日、学部のゼミコンパをしました。全員の出席はかないませんでしたが、右の写真のような顔ぶれで、四条木屋町付近の居酒屋で、がやがやとやりました。写真は、古くからある音楽喫茶「みゅーず」の前で撮影したものです。
 この日が試験最終日の人、また、卒業が危うい4回生もおり、まだ手放しには喜べない状況ですが、試験期間が終わって、学生さんたちはようやく一息つくことができそうです。

 4回生の中には、もうこの時期から就職内定先の企業に、こき使われて、ゼミコンパに来たくても来れなかった人がいました。研修を名目に早々と就業させる企業は、ひどいと思います。卒業まで残り少ない貴重な学生生活を奪うことになるからです。
 卒業を控えた人たちには、残りの2ヶ月、学生の特権である自由を存分に味わって過ごしてもらいたいと思います。

 今年度の神学部オープンコースが無事完了しました。

 今年度で退職される野本先生の科目は、貴重なものだと思います。特に、「日本の近代化と同志社」は、同志社理事長が語る同志社像として、歴史的な資料になるのではないかと思っています。
 もちろん、森先生の「アメリカ・キリスト教史」も圧巻です。この講義を聴けば、森先生のエッセンスを吸収することができるでしょう。基本的には時代ごとに区分されていますので、関心ある時代やテーマをピックアップして視聴するのも、よいと思います。

 今、オープンコースに掲載されている授業数をすべて合計すると、99ありました。撮影・エンコードは学生に頼んでいるとはいえ、これだけの数の授業をアップし続けるのは、結構大変でした。
 しかし、国内の各地に、また、アメリカにも熱心な視聴者がいることを知り、苦労してきた甲斐もあったと思っています。
 まだ確定したことではありませんが、「神学部オープンコース」がモデル的役割を果たし、来年度から、「同志社オープンコース」が始まる見込みです。ただし、あれこれ抵抗にあって、お流れになる可能性もまだありますので、過度の期待は禁物です。(^_^;)

 来年度も、神学部オープンコースの方は、少しずつでも継続していきたいと願っています。登場してくれる人を探すのが大変ではありますが・・・

060123a 1月22日(日)は安中教会で説教し、同日午後には「日本の近代化・ナショナリズムとキリスト教――ファンダメンタルを求める戦いの中で」と題して講演を行いました。この日の礼拝も講演会も新島襄召天記念として行われました。新島襄が亡くなって116年が経ちます。

 安中教会は1878年に新島襄や湯浅治郎らによって立てられた、群馬県では最初の教会です。教会堂は、外観も内部も、当時をしのばせる独特のたたずまいをもっています。何とも言い難い、落ち着いた魅力を漂わせた、すばらしい教会です。歴代の牧師の中には、海老名弾正や平和主義者として有名な柏木義円がいます。

060123b 当日、礼拝や講演に来てくださった方の中には、95歳になるという同志社女子大学卒業のご婦人もおられました。暖かい励ましの言葉をいただき、よき伝統を継承しなければならないとの思いを新たにしました。左の写真は、礼拝説教中の写真です。教会員の方が撮影してくださいました。

 1月23日(月)は、早朝から、新島学園中高で説教をし、その後、車で高崎まで移動して、新島学園短大で講演を行いました。

 この二日間は結構ハードスケジュールでしたが、多くの方々と久しぶりの再会を果たしたり、初めてお知り合いになれたりと、充実した時間となりました。

 新島学園短大には以前も講演で行ったことがあり、23日の講演会でも、6~7年前に来たことがあります、と語ったところ、わたしが前回来たのは、10年前であったと後で教えられました。10年なんてあっという間ですね。今年は、時の過ぎ去ることの早さを、しみじみと感じさせられる機会が多いです。

060121 今日はCISMORの研究会がありました。「一神教世界 にとっての民主主義の意味」という共通テーマのもと、以下の方々による発表がなされました。かなり豪華な顔ぶれです。

小杉 泰氏(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
 「イスラーム民主主義の現在――理念と実践および21世紀的課題群」
古矢 旬氏(北海道大学法学研究科教授)
 「アメリカ建国の理念--「近代」と「宗教」の相克」
菅野賢治氏(東京都立大学人文学部助教授)
 「フランス共和国とユダヤ――『ライシテ(世俗性)』理念の試金石」

 それぞれの話はかなりおもしろかったのですが、昨晩、わたしは徹夜に近い状況であったので、ふっ~と意識がなくなる瞬間が何度もありました。(^_^;)
 このようなエライ先生方の前で居眠りをしては失礼だ、ということで、インスタントコーヒーを研究会の開始前、休憩時間中に3杯続けて飲んだのですが、おかげで、お腹が痛くなりました(泣)。

 良質の発表を聞いた後は、きっとエキサイティングな議論ができるだろうと思うのですが、残念ながら、わたしは出張のため、ディスカッション前に後ろ髪引かれながら会場を後にしました。

 というわけで、目下、わたしは群馬県の高崎に来ています。ホテル・メトロポリタン高崎に宿泊しているのですが、駅から0分が売りです。駅構内にあるので、さすがに便利。

 明日は、安中教会で説教と講演があります。その準備をしていたため、結局、徹夜となってしまった次第です。安中教会は新島襄ゆかりの伝統ある教会です。HPも充実しているのでご覧ください。
 明日は安中教会を紹介したいと思います。

 今日で、今年度の授業がすべて終わりました。講義科目は毎回、四苦八苦しながらやってきましたので、さすがに終わってやれやれ、という安堵感があります。
 とはいえ、また別種の仕事が待ちかまえており、息の抜けないのがつらいところです。
 明日は、入試、研究会と続き、そのまま地方出張に出かけます。明日、うまくいけば、その到着地からBLOGの更新ができると思います。

 今日は、来日中のWelsley大学のJames Kodera先生(比較宗教学)と久しぶりにあって昼食を共にしました。彼はアメリカ聖公会に属しており、かなりの情報通なので、同性愛牧師をめぐる現在進行中の状況について詳しい話しをしてくれました。一筋縄には解決しそうにありませんが、分裂する前に、適切な収束点を見いだしていくことを願わざるを得ません。

060119 カンナム大学(ソウル)のKim Heup Young 先生とお連れ合いが昨日、京都に到着されました。これから1ヶ月ほど、同志社のVisiting Scholarとして京都に滞在されます。
  最初、昨日午後7時頃に同志社に来る予定だったのですが、なぜかJRではなく京阪に乗ってしまい、京阪出町柳で待ち合わせることに。しかし、予定の時間になっても現れず、結局、わたしは1時間弱ほど改札前で立っていました。
 ともあれ、お連れあい共々、元気に姿をあらわし、岩倉ハウスという同志社のゲストハウスまでお連れしました。
 晩ご飯を食べていなかったので、ディナーでも一緒にと出かけたところ、わたしはあのあたりに不慣れで、結局、「王将」に行きました。(^_^;)
 京都での最初の食事が「王将」というのも申し訳ない気持ちがしましたが、「かに玉」など新しい食感を楽しんでおられました。

 Kim先生は、宗教間対話や宗教と科学の関係などを専門としてこられ、世界中の注目を浴びたファン・ウソク教授によるES細胞研究のデータ改ざん事件についても詳しいです。これに関連した講演会を滞在中にやっていただきたいと思っており、これから企画・立案に入ります。

 Kim先生とわたしが最初に会ったのは5年ほど前にソウルで開催された宗教と科学に関する国際シンポジウムにおいてでした。そのときの総括責任者がKim先生でした。その後、アトランタで行われたアメリカ宗教学会や、昨年日本で開催されたIAHR世界大会などでもお会いし、親しくしている内に、同志社に来たい、ということになった次第です。

 『新約聖書への神学的入門』が完売しました。1週間ちょっとで45冊が売れました。
 やはり、新春大出血サービス価格のおかげでしょう。あれが定価で売られていれば、わたしでも買いません。(^_^;)
 私の場合、一冊2千円を超えると、買うときに躊躇します。けちくさい、ということもありますが、2千円という値段に見合った内容をもった本はそれほど多くないということを体験的に知っているからです。値段が5千円となると、かなりの勇気がいります。
 と、自分の訳した本にけちをつけてもしかたありませんが、値段を考えなければ、中身は本当によい本です。
 というわけで、ご購入いただいた方々、どうもありがとうございました。

 Ecumenical News International (01/16)に、「京都・宗教系大学院連合」に関する記事が掲載されました。ENIの掲載許可を取って、小原克博 On-Line に記事全文を掲載いたしましたので、ご覧ください。よくまとまった、わかりやすい記事です。
 ENIは世界教会協議会(WCC)などを基盤に運営され、ジュネーブに基盤を置いて世界に教会や宗教関係のニュースを配信しているメディアです。
 配信記事の要約版は、無料で見る(受け取る)ことができます。関心ある方はENIのページをご覧ください。

"Japan interfaith university project may herald Buddhist dialogue", ENI Jan 16, 2006

■Ecumenical News International
http://www.eni.ch/

 1月も早半ばを過ぎました。年頭に当たり、今年の目標を書き記しておきたいと思います。昨年同様、「絵に描いた餅」になる可能性も大ですが・・・

 まずは、自分の研究時間をある程度確保し、1冊単著を仕上げることです。「朝日選書」からのお声かけをいただきながら、もう3年くらい放りっぱなしになっています。COEに関わり、それどころではなくなった、というのが実情ですが、言い訳ばかり言ってられませんので、今年こそは積年の課題に着手したいと願っています。

 そのためには、まず仕事の整理をする必要がありそうです。これまでは「専門は雑用です!」と胸を張って言えるくらいに、あれこれ雑事に振り回されてきました。おかげで今や、天下無敵の雑用係としてオールラウンドに仕事をこなすに至りましたが、これは残念ながら自慢できることではありません。
 新たに40代のステージへとのぼり、これからは研究者としての真価を発揮したいという思いでいっぱいです(マジ)。問題は、この熱い情熱が周りの人には理解されない、ということですね。(^_^;) 年齢的に下っ端であり続けているということも一因ですが、「何でも屋」としての輝かしい(?)実績ゆえに、細々とした仕事が怒濤のように押し寄せてくるのです。
 今年からは、その荒波を軽々とサーフィンして、本来の目的地へと向かいたい、ということです。言うのは実に簡単ですね~(しみじみ・・・)

 その他、昨年はほとんどまともに手を付けることのできなかったカメラもやりたいです。
 ちなみに、「小原克博 写真館」華々しくオープンしながら、まったく更新できていません。いかに余裕がなかったかを如実に物語っていますね(涙)。

 趣味の野菜作り、ガーデニングにも時間を割きたいとも思っています。

KOHARA BLOG 2周年

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 このBLOGは2004年1月7日にスタートしており、気づくと早3年目に突入していました。右下の「バックナンバー」をクリックすると、これまでの記事すべてを月ごとに見ることができますが、これまで書いた記事数は330、コメントは776にのぼります。気楽に書き込めるBLOGならではの更新頻度です。Webサイト一本だけでは、ここまで自由に思いつくことを書くことはなかったと思います。
 わたし自身にとって、BLOGを続けてきて良かったと思うことの一つは、自分自身の経験や思考の履歴を簡単にたどれる、ということです。まさに日記の役割を果たしていると言えます。
 ちなみに、1年前どんなことを書いたのかと、興味半分で読み直してみて、が~ん、とショックを受けることがありました(→2005.01.04記事)。
 「PHP新書での共著の出版が予定されています。・・・春先の出版予定です」といったことが記されているではありませんか。ここで言う「春先」というのは、去年の春のことです。実際には、ちょうど1年遅れの実現となりそうです。正月だから筆の勢いがいいんですね。まったく「絵に描いた餅」のような発言をしていた自分が恥ずかしくなりました。
 その遅れを挽回すべく、目下、できあがった原稿のブラッシュアップを行っています。タイトルはまだ決まっていませんが、原理主義と一神教がテーマです。3名による共著ですが、それぞれの持ち味が生かされて、このテーマでは類書のないユニークかつ読みごたえのある内容になるのではないかと勝手に思っています。
 春先には出版の予定です・・・(再) (^_^;)

 『新約聖書への神学的入門』送付のやり取りの中で、いくつか質問をいただきました。その一つに、なぜ組織神学者のわたしが、聖書学の本を翻訳したのか、というものがありました。

 神学になじみのない人にとっては「組織神学」という言葉自体がわかりにくと思います。神学は長い歴史を持っており、その中で、当然、体系化されたり、細分化されたりしてきました。プロテスタント神学の場合、ドイツで形作られた学問体系が現在に至るまで、影響を与えています。聖書神学歴史神学組織神学実践神学といった分類もその名残です。
 組織神学は、簡単に言えば、キリスト教の思想や教義を扱う分野になります。

 神学の内容が細分化され、それが日本でも受容されてきましたので、それぞれの分野が独立性を持ってきました。それは専門性の高さを保証すると同時に、「たこ壺」化してきた側面もあります。つまり、専門分野間の連携が失われてきた、ということです。

 欧米であれば、それでも十分に学問市場が成り立ちますが、キリスト教や神学ということすら十分に理解されていない日本で、専門性に閉じこもるのは、あまり意味がないとわたしは考えています。

 そういう思いから、わたしは組織神学をベースにしながらも、あまり専門性の違いを気にすることなく研究をしてきました。聖書学関係の本をたくさん読み、それに関心を持ち続けてきたことも、わたしにとっては「越境的」遊び心の表れです。
 遊び心ですから、本当の専門家ほど、専門的知識は持っていません。しかし、あれこれの領域を飛び歩く中で、お宝を発見する醍醐味もあります。

 そういうわけで、本来わたしの直接的な専門ではない聖書学の分野で、非常に気に入った本、その意味では、できるだけ多くの人にも読んでもらいたいと思った本に出会ったので、専門違いにもかかわらず翻訳することになった次第です。

 最初にドイツ語の原書を読んだときは、わかりやすい本だ、と思い、これなら翻訳もそれほど苦労しないだろう、と思いました。ところが、わかりやすい日本語にするためには、想像以上の苦労があり、またその分野を専門としない自信のなさもあって、結果的には、かなり(!)苦労しました。

 というわけで、『新約聖書への神学的入門』がわたしにとって、「最初」の翻訳にして、おそらく「最後」の翻訳となったのです。(^_^;)

 『新約聖書への神学的入門』の目下の売り上げ状況を簡単に報告します。神学館2階では20冊強が売れました。また、北は北海道・青森から南は九州まで、全国に15冊ほど郵送しました。ちなみに、郵送分の半分は東京都内でした。また、残部は10部ほどとなっていますので、ご希望の方はお急ぎください。
 今回、郵送のやり取りの中で、いろいろな方がこのBLOGを見てくださっていることが、あらためてわかりました。ありがたいことです。

 さて、購入者へのアフターケアーも兼ねて、この本を読むツボを簡単に説明したいと思います。
 第一章「口伝と最初の文書化」は、一言で言えば、どうやって聖書ができたのか、ということを説明しています。聖書学になじみのない人にとっては、多少難解な箇所があるかもしれませんが、気にせず読み通してみてください。聖書学の基本的な考え方を、ここで理解することができます。

 第二章以降は、聖書の各文書について説明がされていますが、聖書におさめられている順番通りではなく、著者や執筆年代ごとに、まとまりが与えられています。
 わたしがこの本の魅力の一つとして、「訳者あとがき」に書いたことを次に引用します。

 一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。自分にとって都合のよい箇所や書物だけを特別視し、解釈の(絶対的)基準にしてしまうのではなく、新約聖書の各巻の間にある差異がなぜ生まれたのかを問い、そしてそれらの差異が指し示す多様なベクトルの総和の中にこそ、イエスの生き生きとした姿(人間の恣意によって固定されない姿)を見るべきではなかろうか。本書はそういった目標のためのよい手引きとなるはずである。

 このあたりの旨みを伝えてくれる本は意外と少ないのです。したがって、新約聖書の入門書は無数にあるとはいえ、この本には類書にはない魅力があります。
 その意味では、タイトルが「新約聖書への入門」ではなく「神学的入門」となっているのは意味があります。「序論」のシュヴァイツァーの言葉から引用すると、次のようになります。

以下の叙述が一般の入門書と区別されるのは、次の点においてである。すなわち、史的問題は、新約文書の神学的に重要な表現をただ可能な限りよく認識するための根拠としてのみ役立てられるという点である。また、罪や恵みといった概念ではなく、一つひとつの文書を中心にしているという点において一般の新約聖書神学とも区別される。それはことさらに歴史的な過程の叙述でもあり、その限りにおいて、かなり控え目な試みである。その際、決して一つだけの関連する展開が考えられるのではなく、新しい手がかりや別の解決策、修正がいつも指示されている。それらは外側から見れば歴史的な偶然である。しかし、新約聖書の証言の統一性に対する問い、つまり、パウロやヤコブ書といった様々な応答が相互にどのような関係を持っているのかという問いは脈々と続いてきている。したがって少なくとも示唆されるべきことは、必然的に個人的になる決断において、著者は、教会の信仰と生活において観察される種々の緊張関係や対立を受けとめ、克服するために、どのような方向を見ていたのかということである。

 第2章以降で各文書の説明を読み進めていく際には、聖書を横に置き、指示されている箇所に目をやりながら読んでいくことをおすすめします。聖書の解説を読んで、聖書そのものを読まない、というのは、もったいないだけでなく、解説の意図を理解し損なうことにもなりかねませんので。

060112-1 今日、チョン・ヒョンギョン(ユニオン神学校教授)による講演会が開催されました。わたしは司会を務めました。
 「母の知恵は境界を知らない―― 韓国人女性の視点からの宗教間対話」というタイトルで話しをされました。話の内容は"Wisdom of mothers knows no boundaries"という彼女のエッセイと基本的に同じだったのですが、日本に対する彼女のイメージやその変化なども交えて、わかりやすい話しをしてくださいました。
 チョン教授はラディカルなフェミニスト神学者として世界的に有名ですので、ひょっとして、すごい気の強い人ではないかと、勝手な想像をしていたのですが、事前の打ち合わせで言葉を交わすと、本当に気さくで話しやすい人であることがわかり、内心ほっとしました。(^_^;)
 彼女の講演のテーマは多岐にわたりましたが、キーワードの一つは「シンクレティズム」(宗教混淆)であったと思います。彼女は、シャーマニズム、仏教、儒教、キリスト教といった宗教的伝統が彼女を彼女を構成していると語り、また、シンクレティズム的な儀礼を実践することがあり、伝統的な立場をとる人からは、シンクレティズムとして批判されてきたことを語っていました。
 しかし、すべての宗教は、キリスト教をはじめ、シンクレティズムの現れである、といいます。シンクレティズムが悪いのではなく、その中身を問うことが重要だとして、よいシンクレティズムもあれば、悪いシンクレティズムもあると語っていました。

 話しの端々に、小泉首相による靖国神社参拝の問題が出てきましたが、靖国神社に代表されるシンクレティズム(神道・ナショナリズム・アニミズム等の融合)は悪い例としてあげられていました。そのシンクレティズムが生命を育んでいるのか、あるいは反対に生命を傷つけたり、破壊したりしているのか、を一国家の境界を越えて、考えなければならないと言います。

 シンクレティズムが決して悪いものでないことを、「言語」「薬」「食べ物」のたとえで説明してくれたのも、わかりやすかったです。

060112-2 講演会終了後、同志社のすぐ近くにある「白木屋」という居酒屋で一緒に食事をしたのですが、その途中で尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑に立ち寄りました。尹東柱については2005年2月13日の記事を参考にしてください。チョン先生は尹東柱の詩がとても好きだ、ということで、詩碑を見て、とても喜ばれていました。

 居酒屋では、いろいろな話題で盛り上がりましたが、アメリカ滞在10年目のチョン先生は、今、ニューヨークのリーバーサイド教会の中に住んでいるとのことでした。へ~!を連発したくなるような話しがたくさん聞けて、楽しかったです。

050111 今日はCISMORの研究会で、オランダ・ユトレヒト大学のエリック・オッテンハイム氏から話を聞き、ディスカッションをしました。彼はカトリック神学者ですが、主としてプロテスタントの学生にユダヤ学を教えているという興味深い人物です。
 今回は、オランダにおけるユダヤ人問題を中心に話を聞きました。戦前、オランダ総人口の25パーセント以上をユダヤ人が占めていたのですが、今では2、3パーセント程度しかいないということです。言うまでもなく、この変化はナチズムのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)によるところが大きいですが、今なおユダヤ人の問題は大きな課題であるとのことでした。
 特に最近、プロテスタント教会が作った新しい祈祷書の表現をめぐって、それが反ユダヤ的な要素を持っているのではないか、という大激論が起こったそうです。
 オランダも都市部ではムスリムの人口比がかなり高く、ムスリム移民の問題が社会的には大きな関心となっているとのことでした。しかも、9・11以降の変化が大きいという指摘を聞き、9・11が引き起こした変化はかなりグローバルであることを改めて感じさせられました。
 ユダヤ人の宗教的コミュニティが近年復活しつつある、というのも、興味深かったです。若い世代の中には単にオランダ人として生活するだけでなく、自らの宗教的アイデンティティを模索する動きが強くなりつつあるということです。この点では、ヨーロッパにおけるムスリムの第二世代、第三世代の動向と似ているとも言えます。

 オッテンハイム氏の公開講演会が下記のように1月14日(土)に予定されていますので、関心ある方はぜひお越しください。

■CISMOR公開講演会
「何のための対話か?―オランダにおけるキリスト者とユダヤ人」

・日 時: 2006年1月14日(土)14:00~16:00
・会 場: 同志社大学今出川キャンパス 神学館3階 礼拝堂
・講 師: エリック・オッテンハイム(ユトレヒト大学)

 

 本日から『新約聖書への神学的入門』(本体価格5,500円)を新春出血大サービス価格で販売を開始いたしました。価格は以下の通りです。

・同志社大学神学館2階カウンターに取りに来ていただける方:1000円
・郵送を希望される方:1500円

 郵送希望の方は、郵便番号・住所・氏名をメールにてお知らせください。申込みを受け取り次第、できるだけ早くお送りするつもりですが、時期によっては多少遅れることがあり得ることを、あらかじめご了承ください。代金の振り込み口座は、申込みメールに対する返信の中でお知らせいたします。なお、訳者サイン入りをご希望の方は、その旨お伝えください。

 

『新約聖書への神学的入門』の紹介ページに、かつて『本のひろば』に掲載された書評を追加しておきました。本書の背景などについて、きちんと論じているよい書評ですので、参考にしていただければと思います。

 今日はすでに4冊売れました(第一号はCISMOR藤田さん)。ときどき、売り上げ状況を報告したいと思います。完売の日は近い!(かな?)

 下記のように、今週木曜日、神学部公開講演会が予定されています。ご都合つく方は、ぜひお越しください。講師のチョン教授は世界的に有名なフェミニスト神学者です。
 ちなみに、同日、龍谷大学 公開講演会「日本仏教と自然科学における宇宙論」もあります。わたしは、こちらにも行きたいのですが、時間的にはきびしいです。(∋_∈)

 今週は、正月ボケが一気に吹き飛びそうなほど、会議や講演会や研究会が詰まっています。トホホ・・・

 母の知恵は境界を知らない
 ―― 韓国人女性の視点からの宗教間対話 ――

●日 時  2006年1月12日(木)午後5時30分~7時30分
●場 所  同志社大学 今出川校地 神学館礼拝堂
●講 師
 チョン・ヒョンギョン(ユニオン神学校 教授)
●プログラム
 司会:小原克博(同志社大学神学部教授)
 [講  演] チョン・ヒョンギョン
 [質疑応答]
●通訳あり、入場無料、事前申込不要

[講師略歴]  チョン・ヒョンギョン教授(Dr. Hyung kyung Chung)
現在、ニューヨークのユニオン神学校教授(エキュメニカル神学)。韓国梨花女子大卒業(1979)、同大修士課程卒業(MA1981)、米国クレアモント神学校神学修士(M.Div1984)、ユニオン神学校より博士号修得(Ph.D 1989)。
研究領域は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのフェミニスト神学やエコフェミニスト神学、フェミニスト霊性研究、キリスト教と仏教対話、宗教における病と癒し、神秘主義と革命的社会変革、アジア神学の歴史等、多岐にわたる。
チョン教授は、第三世界神学者協会会員、国際他宗教間対話平和協議会会員を務める。WCC(世界教会協議会)キャンベラ総会では基調講演者として注目を集めた。
著書として、Struggle to be the Sun Again(再び太陽になるための闘い)等がある。

 昨日の加藤周一氏の話の続きを一つ。
 高尾さんがコメントで触れてくださっていましたが、加藤氏は、なぜ今の若者が社会に対し関心を持たないのか、についてパネリストの先生方に問いを投げかけていました。特に、加藤氏が深く関わっている「九条の会」は、発起人の平均年齢が70歳を越えていたらしく、老人会のようなものだと茶化しながら説明されていました。
 憲法九条を守る、という平和運動に現代の若者はほとんど関心を向けないことを、安保闘争などで若者が中心となった70年代と比較されていました。加藤氏らが老体にむち打ちながら運動を続けているにもかかわらず、多くの若者は気にとめることすらないわけですから、お嘆きになる気持ちはわかります。これは確かに重要な問題です。
 それゆえ、加藤氏が京都・宗教系大学院連合に期待したのは、年寄りと若者をつなげるような活動を展開してほしいということでした。一般社会では、世代間の断絶は明らかですから、もしこのギャップを何らかの形で埋めることができるとすれば、それは宗教的視点の有用性を示すことにもなるでしょう。
 これは、加藤氏から我々に託された課題として、今後、教育や研究の具体的な場で受けとめていきたいと思っています。

 昨日の設立記念シンポジウムのページを作成しました。写真はクリックすると拡大します。

■京都・宗教系大学院連合 設立記念シンポジウム
http://www.kgurs.jp/symposium.html

■『京都新聞』1月7日、掲載記事
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006010700147&genre=G1&area=K10

060107a 本日、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の設立記念シンポジウムが同志社大学の寒梅館で行われました。
 プログラムは下記の通り。

・あいさつ:武田龍精(龍谷大学大学院)
   「京都・宗教系大学院連合設立の経緯と目的」
・基調講演:加藤周一(評論家・作家)
   「異なる宗教間の対話」
・パネル・ディスカッション
 司会:室寺義仁(高野山大学大学院)
 パネリスト:
  加藤周一
  門脇 健(大谷大学大学院)
   「『分からない』という分かり方」
  頼富本宏(種智院大学)
   「ヴァーティカル諸思想図殿――ボロブドゥール大塔の意図」

  森 孝一(同志社大学大学院)
   「平井金三とシカゴ万国宗教会議(1893年)」
・閉会の辞:小原克博(同志社大学大学院)

 正月気分が抜けない1月初旬で、しかも雪が降る中、一体、どれほどの来場者があるだろうかと多少心配していたのですが、なんと200名もの方々が来てくださいました。
 加藤先生は博学のなせる業か、縦横無尽に異なるテーマを飛び回りながらも、主張したいメッセージはきちんと伝えようとする情熱にあふれた基調講演をしてくださいました。1919年生まれのご老人とは思えないパワーです。
 予定では40分ほどのお話をいただくことになっていたのですが、1時間を過ぎても話しが終わりそうになかったので、内心冷や冷やしていたのですが、来場者の方は、きっと満足されたと思います。

 続くパネル・ディスカッションでは、加藤先生以外のパネリスト3名が、それぞれ10分ほどの短い発表をした後で、ディスカッションに入りました。
 発表もよかったですが、ディスカッションでも、加藤先生が興味深い問題提起を次々としてくださり、話しに良い流れができたように思います。

060107b このシンポジウムの全体は、テープ起こしをして、冊子体にして配布できるようにする予定です。

 わたしは、朝からプログラムの印刷、会場の設営、カメラマン等々の役目を引き受け、裏方として尽力いたしました。小さなトラブルはいくつかありましたが、無事、このシンポジウムを終えることができて、ほっとしています。
 京都・宗教系大学院連合の第一歩を飾るにふさわしい内容であったと思います。

 2006年となりました。みなさま、明けましておめでとうございます。

 元旦の今日、同志社教会で行われた新年合同礼拝に出かけ、話し(説教)をしてきました。
 日曜日と元旦が重なったのは、1995年以来とのことです。午前中に各教会で通常の礼拝がありながら、午後からも礼拝に来るのだろうか、と思っていたのですが、かなりたくさんの人が来られており驚きました。
 説教のための時間が限られていたので、かなり早口で話してしまいました。もともと早口になりがちなのですが、今日は、確信犯的な早口でした。もっと要点をまとめて短くすればよいのでしょうけれど、出し惜しみできない性格なので、ついつい、あれこれとテーマを詰め込んでしまいます。(^_^;)
 壇上に上ってから気づいて、一瞬、青ざめたことがありました。わたしが伝えていた聖書の箇所の終了部分が10節分短かくなって、プログラムに記されていました。が~ん、これでは肝心な箇所がないではないか~と嘆いても、後の祭り。

 礼拝後、京都市内の各教会から参加された方々と顔を合わせました。15年から20年ぶりくらいの人もたくさんいて、その意味では、貴重な機会となりました。異口同音に「昔と変わりませんね~」と言われたのには、うれしいやら、恥ずかしいやら。
 振り返ると15年や20年の年月はあっという間です。感慨深い元旦礼拝となりました。

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