小原On-Line

小原克博: 2005年7月アーカイブ

 今週は猛烈に忙しく、いろいろな出来事があったにもかかわらず、BLOGを更新する余力がありませんでした。

050730a 25日(月)にはCISMORの特定研究プロジェクト「EUにおける宗教政策」の企画として、宮澤正典先生(同志社女子大名誉教授)による「日本におけるユダヤ論議考」の話を聞きました。
 宮澤先生は長らく同志社女子大学の先生であったにもかかわらず、わたしはお会いするのが初めてでした。20世紀初頭くらいから現代に至るまでの、日本におけるユダヤ人論議を資料に基づいて説明してくださいました。
 日本には昔も今も、居住しているユダヤ人の数はきわめて少数ですが、政治的にも通俗的にも、様々な局面でユダヤ人議論が現れており、新鮮な驚きを得ることができました。ユダヤ人に対する否定的な見解、肯定的な見解、中立的な見解、それぞれをその背景と共に知ることができました。

050730b 27日(水)には、ゼミの学生さんたちと共に、大阪の鶴橋に焼き肉ツアーに行きました。
 鶴橋のコリア・タウンで焼き肉に舌鼓を打ちました。左の写真が、そのお店です(右下が食べている風景)。週末はかなり混雑するそうですが、平日だったので、お店は比較的空いていました。

 焼き肉ツアーというと、遊びに行ったのかと思われるかもしれませんが、鶴橋周辺における在日韓国・朝鮮人の方々の生活の一端に触れるというのが、このツアーの目的でもありました。
050730c 現在、大学院神学研究科博士後期課程に在籍している呉寿恵(オー・スヘ)さんに案内してもらいながら、在日の人たちの歴史や生活の様子を垣間見ることができました。

 呉さんのお連れ合い(李 清一 氏)が館長を務めているKCC(Korean Christian Center)にも立ち寄りました。そこで、KCCがかかわってきた在日の人たちの様々な運動の歴史についてのお話を聞くことができました。
 1980年代初頭の外国人登録法や指紋押捺拒否の話なども出てきたのですが、参加した学生さんたちは、みな、その頃に生まれていますので、話を聞いても、すぐにはそのリアリティを感じることはできないようでした。
 しかし、話を聞いている内に、在日韓国人・朝鮮人に代表される外国人に対する日本社会の姿勢が決して優しいものではなかったことを、少しずつ感じ取ってくれたようでした。

050730d KCCのあと、すぐその隣にある在日大韓基督教会 大阪教会を見学しました。在日の中のクリスチャンは、日本人の場合と同様に、わずか1パーセントに過ぎないのですが、この大阪教会の朝の礼拝には200名ほどの人が集まるとのことでした。

 実は数年前、この教会でわたしは講演と説教をしたことがあり、今回、その礼拝堂を懐かしく思い返すことができました。

 帰る途中、お茶屋さんに立ち寄り、韓国のお茶を飲みました。わたしはカリン茶を飲みました。コリア・タウンは鶴橋から徒歩10分ほどのところにあり、いろいろな意味で楽しめるところです。おすすめです。

050723 今日は「一神教学際研究センター」の「一神教の再考と文明の対話」研究会に参加しました。場所は昨日に引き続き、同志社大学東京オフィスでした。お二人に次のような発表をしていただきました。

加藤 隆(千葉大学文学部教授)
「比較文明論の観点からみたキリスト教世界の類型化の試み」
石川 立(同志社大学神学部教授)
「キリスト教における正典的解釈の可能性――土の器としての正典」

 今年度は「正典解釈の多様性と民主主義」をテーマにしており、特に今回はキリスト教にフォーカスしました。  議論の最中に地震があり、しばし沈黙の瞬間もありましたが、白熱した議論をすることができました。

 地震は大したことなかったと思っていたのですが、JRや東京メトロの一部は地震のために運転を中止しており、東京駅構内も人だかりで騒然としていました。わたしがホテルに帰るために使おうとしていた東西線も運悪く運休となっており、タクシーに乗って帰ろうと乗り場に向かうと、何と100名を越える長蛇の列!
 タクシー乗車も諦めて、茅場町にあるホテルまで歩いて帰りました。
 あとでニュースを見ると、関東各地で震度5の地震だったそうです。わたしが大したことないな~と思った地震でさえ、各線運休するわけですから、大型地震が都心部を襲った場合、都市機能が麻痺するだろうということを少し身近に感じることができました。

050722 今日は、同志社大学東京オフィス宗教倫理学会の研究会が行われました。これまで研究会はいつもキャンパスプラザ京都で行われていましたが、今回は東京での初の研究会となりました。  どれくらいの人が集まるか心配だったのですが、早稲田、上智、筑波の学生さんたちも参加してくださり、20名を超える参加者となりました。  土田友章先生(早稲田大学教授)は「科学技術と信仰――生命倫理の話題から」というテーマで、また、金井新二先生(東京大学名誉教授)は「終末論的宗教と非終末論的社会――現代社会における根本的相克」というテーマで話をしてくださりました。  わたしはお二人に対するコメンテーターになっていたのですが、いずれのテーマもわたしの専門と深く関わっていたので、知的好奇心を触発されながらコメントすることができました。  今回の東京での研究会は予想以上の満足度があったので、今後も、年に2回程度は東京で研究会を開催したいと思っています。  今回も、宗教倫理学会の会員でない方がたくさん参加されていました。東京近郊の方で、関心のある方は、ぜひ次回の東京での研究会にご参加いただければと思います。

 今日、ヨンセイ大学の趙載國(チョウ・ジャイコク)先生(神学研究科修了)と今出川の図書館前でばったりと出会いました。彼が、足早に歩いている私を遠くから見つけ呼び止めてくれました。
 わたしは会議に出席しなければならなかったので、それが終わった後、わたしの研究室で会う約束をして、韓国からの留学生(と言っても、日本人以上に日本化している)イ・サンキョンさんと共に、大学近くの居酒屋で会食をしました。
 チョウ先生の来日の理由は二つありました。一つは、若桑みどり『イメージを読む』(筑摩書房)のハングル訳をチョウ先生が出されることになり、そこに掲載されている絵画の著作権を調べるために図書館を利用されていました。わたしも若桑ファンの一人なので、この点ではずいぶん話がはずみました。若桑さんは、最近、『戦争とジェンダー』という本も出されており、これもお薦めです。
 チョウ先生の来日のもう一つの理由は、愛知万博で5日間に渡り地雷禁止について講演することです。彼は"Korea Campaign to Ban Landmines" (http://www.kcbl.or.kr/)というNGO団体のコーディネーターをしています。数年前に、朝日新聞でも彼の活動がかなり大きく記事として取り上げられたことがあります。
 そのほか、韓国の大学や教会の様子を聞くことができ、まったく偶然の再会とはいえ、楽しい一時を過ごすことができました。

050716 今日は、日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスで、京大の福島雅典先生による「中絶胎児の研究利用をめぐって」と題した講演会に参加しました(企画した側ですが)。
 福島先生は昨年、朝日新聞の「私の視点」でこの件について触れ、「日本の哲学、倫理学、宗教は、再生医学が描く「不死への夢と幻想」に屈するほど脆弱なのか」という問いかけをされていました。この問いかけが非常に鮮烈に記憶に残っており、ぜひ福島先生をお招きしたいと考えた次第です。
 結論から言うなら、中絶胎児の研究利用は容認できない、ということですが、そこには福島先生の生命観があります。福島先生によれば、精子と卵子が受精した瞬間に人間としての生命が始まっているのであり、医学的な視点から見て、このことは論をまたない、ということでした。他方、9週以内のmedical abortionは認めざるを得ないとされているので、矛盾を感じなくもないのですが、とにかく、非常に明確な胎児の生命擁護の立場に立っておられました。日本の医学界で、この線で主張を展開するのは、かなり勇気のいることだと思います。
 ビジネスとべったりと結びついてしまった現代科学に対する批判も辛らつで、哲学のない科学は凶器(狂気)である、と語っておられました。

 ご自身は、携帯電話も車ももっておられず、テレビも見ないとのこと。多くの人が携帯の虜になってしまっていることは、おぞましいことだともおっしゃっていました。

 このプログラムは、1時間半講演、1時間半質疑応答なので、けっこう楽しめます。わたしは、生命の始まりの部分に対して疑問を呈したり、中絶の権利をめぐる米国での議論を紹介したりしたので、胎児の生命至上主義の方から、「もっとしっかりしてください!」と文句を言われたりしました。(^_^;)

050715 今日は、祇園祭の宵山にあたるので、ふらりと烏丸通り、四条通界隈を歩いてきました。右の写真は、四条通にある「月鉾」です。
 烏丸通りの真ん中を歩ける機会はめったにないので、歩くと気持ちがいいのですが、進んでいくと、徐々に人が増え、その多さに圧倒されます。
 山鉾巡業までの三日間で120万人ほどの観光客が来るらしいです。ちょっと信じがたい数ですが、この経済効果はすごいです。
 京都の中心街は完全に祇園祭モードになっています。

 今日で、春学期の授業が終了しました。
 新たに始めた同志社科目「建学の精神とキリスト教」は、最初から最後まで、苦労の連続でしたが、本日、めでたく最終回を迎えることができました。
 授業前日はほぼ毎回徹夜に近い状態で準備し、その割には、しどろもどろの授業であったりしましたが、学生さんの反応は非常によく、その点では、意味のある授業であったと思っています。新島襄や初期の同志社を支えた先達たちの魅力のなせる業とも言えます。わたし自信、大いに勉強になり、刺激を受けました。

 原点に帰る、というのは、時に非常に大きな希望と展望を与えてくれるものです。基本に立ち返ることが、現在のあり方を批判的に見つめ直し、現状を再構成するための思考軸を与えてくれる場合があります。
 「原理主義」の魅力もここにあります。それゆえ、自分の立場を絶対化・正当化するための原点回帰の欲求に対しては、批判的な内省が必要とされるのです。

 さて、今日は一つ講演会を案内しておきます。かなり直前の案内で申し訳ないのですが、お近くの方は、ぜひお越しいただければと思います。

■ 「中絶胎児の研究利用をめぐって」7月16日(土)
            福島 雅典氏(京都大学医学部)

http://www.academy-kansai.com/prog/life/index.htm

 香港から無事帰国しました。フライトは4時間弱なので気楽です。本を読んだり、居眠りしたり、食事をしたりしていると、あっという間に到着する感じです。
 深夜に到着して、翌日は会議日。夕方までびっしりと会議づくしで、その後、夕方からは大学コンソーシアム京都提供科目「宗教と倫理」の最終回に参加しました。同志社女子大の中村先生、京都女子大の徳永先生、龍谷大学の高田先生らと共に、受講生からの質問に答えるという形で授業を進めました。

 今回、香港でのワークショップに参加して、いろいろな刺激を受けたので、それを今後は具体的な形にしていきたいと思っています。
 同志社の神学教育はかなり先端的なことをやっていながら、それが外にわかるように表現されていないので、今後は、そのユニークさをウェブなどを通じて、うまく伝えていきたいと思っています。また、その前に、カリキュラムの構造だけでなく、どのような人物の育成を目指しているのかを説明したミッション・ステイトメントが必要となるでしょう。

 日本、(東)アジアというコンテキストを十分に反映したカリキュラムや研究も必要です。実は、今学期、contextual theologyをテーマにした講義を大学院で開講していたのですが、論点の整理にとどまっており、本格的にやるにはまだ時間がかかりそうです。しかし、そのおもしろさや難しさもわかってきたので、これからぼちぼちやっていきたいと思っています。

 3日目はワークショップの最終日だったのですが、午後の帰国者が多いということで、急遽、午後の予定がキャンセルされ、フリーの時間ができました。
 ラッキー!ということで、昼食を食べた後、すぐさま街中へと繰り出していきました。

050711a Tsim Sha Tsuiという港の方の駅で降りて、あたりをうろうろと歩き回りました。途中、あの有名なPeninsular Hotelが目に入ったので、全く用はなかったのですが、見聞のため、ホテル内に入ってうろうろしました。さすがに格式高い風情が随所に感じられました。
 Tsim Sha Tsuiのあたりは、ショッピング街が続いており、そこも見て回りましたが、確かにブランド品などが日本より安いように感じました。といっても、わたしはブランド品の価格の相場などについてはまったく知りませんので、かなり直感的な印象ですが。しかし、高級ブランド店が軒を連ねているのは圧巻で、バーバリーのお店の前では、まるでタイムサービスの割引商品を買うかのように、長蛇の列ができていたのは印象的でした。

 Tsim Sha Tsuiからフェリーに乗って中環(the central)と呼ばれる地域に行きました。ここはビジネス街が中心で巨大なビルが、いくつもそびえ立っています。上の写真は、中環のハーバーで撮したものです。
050711c このあたりで、特に目的を定めず、うろうろと歩いたのですが、途中、吉野家の牛丼がありました。たぶん、ここでは日本では輸入禁止の米国産牛肉を使って、牛丼を出しているのでしょう。吉野家の牛丼の味が急に懐かしく感じられ、食べたい!という誘惑が頭をもたげたのですが、夕方近かったので、何とかこらえました。

 中環を歩いた後、100万ドルの夜景を見るべく、ビクトリアン・ピークという山頂にトラムでのぼりました。下の写真は暗くなる前にビクトリアン・ピークから香港の街を撮った写真です。
050711b 頂上には、かなり巨大なショッピングセンターがありました。日本では山の上など高いところは、ものの値段も高いことが多いですが、ここはそういうことはまったくなく、すべてがかなりリーズナブルな価格でした。
 あたりがくらくなって、いざ、香港の夜景へ! 曇り時々雨という天気のせいもあったのですが、何となく街の光が少なく見えました。よく考えると、日曜日。ビジネスはお休みなので、ビジネス街のビルディングは消灯されたまま。100万ドルではなくて、50万ドルくらいの夜景だったような気がします。(^_^;)
 夜景も一応撮ったのですが、コンパクトカメラの性能の限界で、非常に暗くしか撮すことができなかったので、写真としてはボツです。100万ドルのや夜景らしく撮すには、三脚付きで、ちゃんとしたカメラで撮す必要があります。
 多少期待はずれであったとはいえ、香港の全体を見渡すことができ、やはり一度は訪れるべき場所であることに違いはありません。

 帰りは、トラムの駅からさらに歩いて、SoHoというエリアで食事をしました。ここは多国籍の料理が集まっている場所で、さすがに中華料理に飽きていたので、別の料理を食べようとここにやってきました。あれこれ値段を比較した結果(せこい!)選んだのは、ギリシア料理。久しぶりのギリシア料理でしたが、ボリュームも味も十分に満足できました。

 大学の宿泊場所にたどり着いたときには12時を回っていました。
 今日の夕方の飛行機で帰国します。

050709a 三日目にもなるとだいぶ慣れてきましたが、朝から晩まで英語での議論はさすがに疲れます。(^_^;)  今日は三つのグループに分かれて、それぞれで各国の教育システムや、神学カリキュラムの内容について討議をし、アジアの神学にとって必要な内容は何かを考えました。西洋的な枠組みを越えたカリキュラムの模索です。  異なる国、異なる大学で行われている教育内容を聞くのは、非常に刺激的でした。全体の様子を聞いてみると、同志社大学神学部・神学研究科が行っている(あるいは、これから行おうとしている)教育内容はかなり先進的な部類にはいることも確認できました。

050709b  議論しておもしろいなと思ったことの一つに、「組織神学」(systematic theology)に対する評価がありました。アジアの多様な土壌においてはsystematicなものはそもそも成り立たない、あるいは西洋的だということで、この言葉は使わない方がいいというのです。わたしは、神学の分野では一応「組織神学者」ということになるので、かなり興味深く議論を聞いていました。systematic theologyよりchirstinan thoughtと名付けた方がよいという意見が多かったです。  名前は確かに内容理解にも関係してくるので大事な部分ではあります。伝統的な神学の分け方、つまり、聖書神学、歴史神学、組織神学などが、それぞれ西洋的な枠組みを踏襲しているということで、アジア的なフレームワークや科目名が模索されました。  カリキュラムの枠組みそのものを考え直す、ということは、普段なかなかする機会がないので、自分の考えを整理する上でもよい刺激になりました。
 ひょっとすると、来年度の神学部・神学研究科のカリキュラムは大きく変わるかもしれません。(^_^;)

 二日目の全プログラムが終わりました。ワークショップの司会の務めも何とか終えることができたので(大したことはしていませんが)、少し肩の荷が下りました。司会をするより、好き勝手に発言できる方がはるかにいいです。  議論は多岐にわたるので、とても簡単にまとめることはできませんが、アジアの神学の特質、教育のあるべき姿を描き出すことにエネルギーが注がれました。果たして「アジア的なもの」は共通項として抽出することができるのでしょうか。  こうした議論の際には、決まって「西洋」との対比関係の中で「アジア」が語られることになります。これはポストコロニアリズムということを意識すると避けることはできません。  わたしは奥歯に物が挟まったような議論はしたくなかったので、最初に、アジアにおける歴史的な問題はWestern imperialismだけではなく、特に北東アジアにおけるJapanese imperialismも神学的な課題としてあるのではないか、と発言しておきました(政治的な課題であることは言うまでもなりません)。  また、アジア全域で、中国およびインドの台頭がかなり意識されていることがわかりました。  こうした議論をしていると、アジアという枠組みの中で、日本がどのようなプレゼンスを示し、またどのような貢献することができるのか、ということを、今後きちんと考えていかなければならないことを、つくづく感じさせられました。そして、何より、このような機会を通じて、信頼関係を形成していくことの大切さを考えさせられました。  朝は簡単なトーストが出るのですが、昨晩に引き続き、昼食と夕食は予想通り中華料理でした。中華ずくしです。同じレストランで食べるので、メニューがほとんど一緒なんです。あと二日続きます。量が多いので(ついつい手が伸びてしまいます)太りそうな予感がしています。

香港に到着

|

050708 香港に到着しました。右の写真は宿泊している香港中文大学のゲストハウスの窓から撮った写真です。曇り空ですが、それなりに香港らしさが現れている風景だと思います。  朝5:30頃に家を出発し、午後1時に香港に到着しました。到着後、京都ですれ違ってしまったProfessor Peter NGと会い、夕方からプログラムが開始され、夜の9:30頃にようやく解放されました。  Asian Christian Higher Education Instituteが主催するアジア神学教育ワークショップに参加しています。  インド、スリランカを含むアジアのほぼ全域から35名ほど神学者たちが集まり、米国やイギリスの大学からも数名の参加者がいます。  朝7:30に共に食事をし、夜食事を終わるまで、びっしりとプログラムが詰まっている殺人的なスケジュールです。行く前から、おそろしいな~と思っていたのですが、到着してプログラムを見ると、いくつかあるワークショップの内の一つの司会(facilitator)が私に割り当てられていました。日本では考えられない強引さです。  一応、組織のオーガナイザーにやんわりと抗議したのですが、「きみならできる」ということでおしまいでした。(T_T) きっと、わたしのつたない英語力での議事進行を見て、後悔されると思いますが・・・

 今日から来週月曜日まで香港に出かけてきます。A Workshop on Its Implications for Christian Studies and Theological Education in Asia というのに招待されています。簡単に言えば、アジアにおける神学教育のワークショップです。
 香港中文大学が会場になるのですが、かなりハード・スケジュールのワークショップです。朝から晩まで、びっしりプログラムがあります。これがチャイニーズ・スタイルなのでしょうか。
 ちなみに、今日は朝の5時半頃家を出て、昼の1時過ぎに香港に到着しますが、何と、夜の9時半までプログラムがあります。(T_T) スケジュールを見たときは、一瞬、目を疑ってしまいました。(^_^;)
 アジアのほぼ全域から各国の代表者が集まり、また、アメリカやイギリスからの参加者もいます。
 大学のゲストハウスに宿泊するので、インターネットが使えるかどうかは、わかりません。一応、ノートパソコンは持っていくので、うまく接続できれば、香港からBLOGを更新したいと思います。
 果たして、そのような余裕があるかどうかも問題ですが・・・(コワイ)

 アメリカの合同キリスト教会(UCC)が7月4日の総会で、同性婚を承認しました。主流派教派としては、同性婚を承認した初めてのケースです。
 いろいろなニュース記事を読むと、内部では異論もあったようですが、聖公会のように組織を二分するような事態には至らなかったようです。
 UCCは歴史的にもリベラルな教派としての経歴を持っています。1700年には奴隷制度に反対した最初の教会として、また、1853年に女性を牧師として任職した最初の教会として、また、1995年に「包含的言語」(性差別や人種差別などを誘引しないように配慮された翻訳)による式文を採用した最初の教会として、そのリベラルさを誇っています。
 もっとも、UCC自体は、会衆派や改革派の教派が1957年に合同した「合同教会」ですから、1957年以前の出来事については、そのルーツとなった教会の歴史が言及されています。
 アメリカやカナダの聖公会のリベラル派の人たちは、今回のUCCの決定を、かなりうらやましく思っているに違いありません。

■United Church of Christ
http://www.ucc.org/

 今日、宗教学6「戦争・正義・平和―宗教多元社会の中で」の最後の授業を行いました。来週は香港にいるので、来週は休講にしています。
 この授業は「神学部オープンコース」の科目にもなっていますので、インターネット経由で、様々な方々に見ていただいています。わたしは、こういうことを推進しておきながら、実は、ディスプレイと90分向き合って講義や講演を視聴するという経験を一度もしたことがありません。ですから、毎回、きちんと見てくださっている方々からのメールをいただくと、動画配信をやっていてよかったと思うと同時に、その集中力に感心させられます。

 今日は日本の近代史、特にナショナリズムや大東亜共栄圏イデオロギー、聖戦、国家神道などについて触れました。しかし、最終回ということもあって時間の余裕がなかったため、「とにかく、これを読んでください」とお薦めしたのが、高橋哲哉『靖国問題』(筑摩新書)です。
 この本は、非常によく売れていると聞きますが、それが納得できるだけの内容があります。まず何と言っても、わかりやすい。第一次資料を丁寧に参照しながら、それを分かりやすく分析し、同時に、全体的な歴史的文脈の中に性格にその分析をマッピングしていきます。

 伝統的な神道が、どのようにして国家神道へと作り替えられていったのか。また、靖国の歴史を振り返ると、靖国と関係している戦争が決して太平洋戦争だけではないこと、日本の戦争責任を太平洋戦争だけに限定することは、問題を矮小化することになりかねないことを教えてくれます。キリスト教や仏教などが、国家神道に巻き込まれ、ナショナリズムに積極的に奉仕していった有様も描写されています。

 叙述内容については異論を唱えたくなる人もいることでしょう。しかし、その是非はともかくとして、靖国問題の論点を明晰に整理している点で、非常にすぐれた本であると、わたしは思います。

■Amazon, 高橋哲哉『靖国問題』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062327

050703a 金曜日は1時間目から3時間目まで授業がある日なのですが、3時間目が終わってすぐ新幹線に乗って、軽井沢に向かいました。駅から徒歩10分ほどの軽井沢プリンスホテルに宿泊しているのですが、到着した時間が9時を回っていたので、あたりはお店も閉まり真っ暗で、暗い夜道をとぼとぼと歩いていきました。
 翌朝起きてはじめて、非常にすばらしいロケーションにあることがわかりました。右の写真は部屋から写した風景です。森に隣接する形でホテルがあります。

 土曜日の午後、社会経済生産性本部が主催するThe Challenge of Leadership Programのための講演をしました。このプログラムは、企業の幹部候補生のための集中プログラムのようなもので、その中に政治や科学や宗教の講演が組み込まれています。
 ちなみに、午前中は国際基督教大学の村上陽一郎先生が担当されました。その前には、佐々木毅氏(前東大総長)の講演もあったようで、かなりの一流どころの講師が集められています。講師の名前が並んでいる表を見ると、わたしのところでガクンとグレードダウンしているようで、申し訳ないな~と思いますが、わたしとしては精一杯やらせていただくしかありません。
 「宗教――グローバル化する世界における価値の衝突」というタイトルで話をしました。

050703b 参加者は遠くは岡山の方からも来られていましたが、いずれもシャープな問題意識を持った方ばかりで、90分の質疑応答もあっという間に時間が経ってしまいました。同じような話をしても、さすがに、若い学生さんと受け止め方の視点が違うな~と感じ、わたし自身、大いに刺激を受けることができました。(左の写真はショッピングセンター街の遠景)

 土曜日の昼食は、参加者の方々および村上先生とご一緒させていただいたのですが、村上先生に国際基督教大学のCOEプログラムの様子を聞くと、さすがに大変そうでした。COEの中間評価が6月に行われ、その結果が10月に新聞等でも公表されますが、それが出るまでは、ちょっと落ち着かないですね。果報は寝て待て、といきたいところですが、ゆっくり寝る余裕はなかなかないですね。(^_^;)

You are the
 th Visitor
 since 01/07/2004.

自己紹介

近  著

2013年10月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

月別 アーカイブ