生きて生還しました。ただし、足は猛烈に痛いです。腕まで痛くなって、帰りの電車では、つり革まで手をあげるのも、つらかったです。
さて、結果はいかに? 順を追って、説明したいと思います。マラソンはドラマでした。
到着して、まずその人数の多さに驚きました。平安神宮の周りに7千人以上の人が集まっているのですから、普段、見られない光景です。その光景の写真を取ることはできませんでしたので、(代わりにはなりませんが)わたしが本日着用したウェアーの記念写真を上に載せておきました。ゼッケンの裏にはトルソータグが入っていて、チェックポイントの通過タイムが自動的に計測されるようになっています。
整列する前に軽くウォーミングアップしました。たまたま近くに、いかにもベテランそうな人がいたので、少し話しかけました。
(小原)「なんだか手袋している人が多いみたいですけど、走ってて熱くならないんですかね~?」
(ベテラン)「こんな寒い日には手袋するのは当たり前だよ。手が冷えると体温調整できなくなるよ。」
(小原)「えっ、そうなんですか。」
(ベテラン)「手が冷たいと、体が勘違いして、汗も出なくなるんだよ。そしたら、かなりしんどいよ。」
(小原)「・・・・」
(ベテラン)「それより、おたくは重そうなシューズはいてるね~。」
(小原)「えっ、そうですか。ランニングするときに普段はいてるもんなんですけどね。」
(ベテラン)「それはジョギング・シューズで、マラソン・シューズとは違うよ。シューズは軽くないと、時間がたつにつれて、重りみたいになってくるからな。おたくのシューズ、大丈夫かね~」
(小原)「・・・・」
(ベテラン)「まあ、がんばりや!」
(小原)「は、はいっ。がんばります。」
というわけで、よくわからないまま、とりあえずやってきたわたしは、いきなり冷や汗をかいてしまいました。そして、このベテラン・ランナーの言っていたことが真実であったことを、わたしはレースの中で体験することになります。(T_T)
スタート10分前には所定の位置に整列するのですが、わたしは何と最後尾でした。ひょっとして、とは思っていましたが、いざ、そうなるとかなり心細い気持ちになりました。自分の前に7000人以上のランナーがいて、後ろを振り返ると、誰もいないのです。こりゃ、スタートしてからも大変そうだな~と、かえって開き直ってしまいましたが。
9時にスタートの号令がなり、先頭ランナーがスタートを切ったはずなのですが、1分くらいは前にほとんど進みません(最後尾の話です)。2分くらい経って、ようやくスタート地点にたどり着きました。
実況中継のアナウンサーも「2分経って、ようやく最後尾のランナーが歩きながら、スタート地点に到着しようとしています。がんばってください!」と、ウケねらいのスピーチをしていました。
最初は道も狭く、団子のような状態で走っているので、前に行きたくてもいけません。第一関門の制限時間があるので、10分くらいたった頃には気が焦ってきました。こんなところで終わりたくないっ!て感じです。でも、前に行けない最後尾の哀しさ・・・
平安神宮を出発し、京都市役所前を通過し、烏丸通りを北上。第一関門は、同志社大学のちょっと手前にあります。5キロ地点です。烏丸通りで少しピッチをあげたおかげで、第一関門を3分ほど余裕を持って通過することができました。
その後、同志社大学と京都御所の間、今出川通りを東進。河原町通りから、加茂川に沿って北上です。ここに第1給水所があったので、わたしはスポーツドリンクを飲んだのですが、これは後々、痰が絡んでよくありませんでした。のどごしが悪い。2回目以降は水を取ることにしました。
加茂川の横を走る道は景色のよいところなのですが、そういうことを感じている余裕はまったくありませんでした。第二関門を、3分弱の余裕で通過しました。ここまで来れれば初回としては上出来だな、とちょっと満足しました。
北山通りを東進し、10キロの第三関門をやはり3分弱のゆとりを残して通過しました。このあたりから、何とかもう少し先まで行きたいという欲が出てきたのですが、同時に、足がだんだん重たくなり、あのベテラン・ランナーが言っていたように、手がひどく冷たく感じるようになりました。
10キロから先が、本当にしんどかったです。白川通りを北上し、国際会館で折り返すのですが、そこに第四関門があります。ここをぎりぎり通過することができました。自分の通過した少し後に、無情にも通過地点が閉鎖されているのが見えました。そして、しばらくして収容バスが来ていました。昨年の記録にもあったとおり、ここでの脱落者が一番多かったと思います。折り返しながら、すでに閉じられた第四関門に向かうランナーが見えましたが、400人以上はいたと思います。
ぎりぎり通過できたので安堵はしたものの、このままのペースでは次の第五関門は、かなり危ないのではないか、という危機感がよぎりました。
足はさらに重くなり、上り坂では走っているのか、歩いているのか、わからないような速度で進んでいました。白川通を南進し、ここは緩やかな下りになっているので、少しだけ楽になりました。またもやぎりぎりだったのですが、第五関門(17キロ)を通過することができました。
ところが、それまでわたしの後方にいた、2時間完走の目安になる「のぼり」を持ったペースランナーに抜かれてしまいました。さすがに、第五関門まで通過したからには、根性振り絞って完走したいと思っていましたので、その「のぼり」がどんどんと自分から離れていくと、かなり気弱になって「いよいよここまでか」と覚悟を決め始めていました。
最後の3キロほどは、足がまともに動かず、スタミナ切れとなり、そして丸太町通りを通過する最後2キロほどでは、だんだんと意識が遠のいてきました。「あ~、もうだめ~、倒れる~」と思いながら、「ここで倒れたら、どこの病院に運ばれるんだろうか? 勢いよく倒れたら、頭から血が出るかもしれないな~。あっ、そう言えば、保険証のコピー持ってくるの忘れた。あっ、倒れて入院したら、明日の基督教学会に行かなくてもすむな~。倒れようかな~」とか、白目になりかけながら、あれこれ妄想をめぐらしていました。
最後の1キロあたりは、時計を見ながら「ここで2時間をオーバーしたら、今までの努力が水の泡だ。がんばれ~」と弱っている自分を励ましながら走りました。平安神宮の鳥居(ゴール)が見えたときには「よっしゃ~、ラストスパート! まだいけるぞ!」と思うものの、足がまともに動かず、「あかんかったら落ち込むな~」と強気半分、弱気半分で、息もまともにできないような状況でした。
ゴールを通過したとき、2時間を切っていました。感動の完走を果たしました。
あとで係の人に記録を教えてもらいました。
記録は1時間58分14秒。順位は4187位でした。
単純に考えると、最後尾から3000人近い人を追い越したことになります。
制限時間2時間のぎりぎりではありましたが、当初、完走できるとは思っていなかったので、かなりうれしかったです。
今回、全体を通じて、かなり(!)きつかったので、今度は、もう少し準備をしてのぞみたいと思いました。他の地域のマラソンにも機会があれば参加してみたいと思っています。
このシティマラソンは、自分の肉体的・精神的限界に挑戦する、という意味では、非常に有意義であったと思います。
あ~、つかれた!