小原On-Line

小原克博: 2004年10月アーカイブ

 10月30日の講演会の中でも言及したのですが、民主党の「憲法提言中間報告」の取り扱いには大きな問題があります。まずは、レジュメの一部をご覧ください。

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2)民主党「憲法提言中間報告」(2004年6月22日)
 I. 文明史的転換に対応する創憲を 2.未来を展望し、前に向かって進む
(6月22日発表時の文章)
そして第4に、人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基調を据えた社会は、異質な価値観に対しても開かれた、「寛容な多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、<一神教的な>唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、日本社会に根付いた<多神教的>な価値観を大いに生かすことができるものである。

(いつの間にか、次のように書き換えられている)
そして第4に、人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基礎を据えた社会は、異質な価値観に対しても開かれた、「寛容な多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、進取の気風に満ち、日本社会に根付いた文化融合型の価値観を大 いに生かすことができるものである。
http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0058.html
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 6月22日発表時には上のように、「一神教的」「多神教的」という文言があったのですが、それが、いつの間にか削除され、書き換えられています。
 改訂の履歴があれば、こうした修正も「改訂」として許容されるでしょう。しかし、何の改訂歴もなく、こっそりと書き換えてしまうことは、「改ざん」と言わざるを得ません。
 この件について、民主党に尋ねたものの、何の回答もなし。憲法のあり方を語ろうとしている政党の姿勢としては、きわめて信頼を損なう行為であると思います。
 みなさん、どう思われるでしょうか。

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 本日、21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」が同志社大学で行われました。
 中沢新一氏(中央大学教授)が「一神教と多神教――グローバル経済の謎」と題して講演をし、わたしが「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」と題して講演をしました。その後、司会の森孝一先生を交えて、パネルディスカッションをし、最後にフロアーからの質問に答えました。
 わたしの講演レジュメは下のリンクからご覧いただけます。
 350名くらいの来場者がありました。
 来場者へのアンケートから見る限り、かなり満足していただけたようで、時間が短すぎるとか、パネルディスカッションをもっと長くしてほしい、といった要望もありました。時間は2時間半だったのですが、3時間くらい必要だったのかもしれません。いずれにせよ、こうした要望が出るのは、ありがたい限りです。

 講演会終了後、会場を変えて、中沢先生を囲んでの研究会を行いました。
 本で書かれてるいる主張とは異なる本音のような意見を聞けたのは収穫でした。
 「一神教と多神教」という設定に潜む問題の指摘だけでなく、同様の価値の対立が他の国々でどのような形で現れているのか、特にインドの例などを取り上げて、刺激的な議論が交わされました。
 これらの成果も、なるべく早い内にCISMORのウェブサイトに掲載できればと思っています。
 なお、録画ビデオなどをご覧になりたい方は、CISMORの事務局までお申し込みください(E-mail: staff@cismor.jp、tel: 075-251-3972)。

■「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/works.nsf/
626e6035eadbb4cd85256499006b15a6/04eed22fb0a285b249256f3d00513090?OpenDocument

 10/22(金)に発売された『ココログオフィシャルガイド2005』(インフォバーン)に、この「KOHARA BLOG」が紹介されています。
 まだ実物は手に取ってみたことがないのですが、出版社からメールで連絡あり、掲載された者には30%オフで売ってくれるそうです。
 どんな本なのでしょうね~。

 今週土曜日に予定されている21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」の講演要旨を、特別に「KOHARA BLOG」読者の方々にお知らせいたします。これは当日配布の資料に掲載されるものです。
 「講演要旨」ですから、当然、講演の内容ができあがっているのだろう、と思うかもしれませんが、少なくとも、わたしに関しては、かなり怪しいです。(^_^;) どのあたりにポイントを持ってくるべきか、模索中・・・
 多数の方々のご来場をお待ちしています。

◎「一神教と多神教―グローバル経済の謎」

中沢新一(中央大学総合政策学部教授)

 「一神教」も「多神教」も、近代につくられた概念にすぎない。それはおおいに杜撰な概念で、それぞれの宗教の実態には正確に対応していない。絶対的な「一神教」も絶対的な「多神教」も、「トーテミズム」や「アニミズム」と同じように、実在しないのである。「多神教」と呼ばれている宗教的体系にはかならずや「一神教」の要素が含まれているし、純粋な「一神教」と呼ばれるユダヤ教やイスラム教の内部には、隠れた「多神教」の構造が潜伏しており、それによってあらゆる持続的宗教は人類の心の構造と調和してきたのであった。しかし、キリスト教のおこなった「一神教」の内部への「多神教」の組み込みは、まったくユニークなものであった。キリスト教は他の「アブラハムの宗教」には見られないやり方で、「多神教」構造をシステマティックな三位一体構造に組み込むことによって、古い「多神教」を没落解体させることができたのである。その意味では、「アブラハムの宗教」のなかでは、ただキリスト教のみが、古いタイプの「多神教」を滅ぼすことができたのだとも言える。
 それゆえいわゆる「一神教」と「多神教」との対立という構図は、宗教の表層的理解のレベルでのみ機能する一種の「ねつ造された概念」の類にすぎないとも言えるが、その思考構造が経済活動の領域で作動を開始するや、そこには表層的「一神教」の思考構造をもつ、西欧型資本主義の経済システムが発達する可能性が開かれる。その意味では、資本主義とキリスト教的「一神教」(表層における)は、同型の構造を持つことになる。マルクスの語ったこととは反対に、経済とは宗教の別形態にほかならない。われわれは思考を逆転させ、あらゆる人間的諸活動を貫く新しい思考形態を開いていくことができなければならない。この講演では、そのような「来るべき思考」のための輪郭を描き出す作業をおこなってみたい。  


◎「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」

小原克博(同志社大学神学部教授)

 近年、「一神教と多神教」という対比関係が日本の論壇で頻繁に取り上げられている。最初に、その一部を紹介しながら、こうした問題設定に共通して見られる傾向を批判的に検証したい。これらのメッセージの多くは、多神教の世界貢献といった華々しい表現とは裏腹に、非常に内向きで自己完結的な特徴を有している。一神教か多神教かという二者択一は、先を見通すことのできない世界に住むわれわれに、「わかりやすさ」という快感を与えるかもしれない。しかし、これは逃避的な快感ではないか。果たして、この日本的メッセージは世界に通用するのであろうか。むしろ、こうしたメッセージは誤解・偏見を助長しているのではないか。
 宗教学や神学の視点から、一神教と多神教という概念を整理し、一神教と多神教を二元論的な排他関係に置くことがあまり意味を持たないこと、そして、一神教における神理解(唯一神信仰)に対置されるべきは、歴史的には「偶像崇拝」であったことを指摘する。同時に、偶像崇拝が現代世界において持っている新たな次元を示唆する。これは、テロなどの「直接的暴力」を生み出す温床としての「構造的暴力」と深い関わりがある。
 また、多神教が日本やアジアにおいて、どのような役割を果たしてきたのかを、神道の例をあげて考察する。神道は、仏教とともに、日本の多神教を代表する存在として言及されるが、他宗教、異文化に対する神道の「寛容」の程度を確認したい。
 最後に、現代世界の錯綜する問題を洞察する視点として「一神教と多神教」という問題設定があまり有効でないとすれば、何が見るべき思考軸であるのかを考える。個別宗教・国家の次元で考えれば、それは穏健派(リベラル派)と急進派(原理主義者)との戦い、あるいは、多様性の容認か、一つの強固な価値か、という価値観(世界観)の争いに見ることができる。また文明論的な視点から見るなら、オリエンタリズムとオクシデンタリズムが生み出すイメージのすれ違い、一方向からのイメージの氾濫・増殖の中に問題を指摘することができるだろう。

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 金曜日の小原ゼミ(学部)は御所の公園で行いました。歩いてすぐのところに、上の写真のような場所があるのは、同志社の特権ですね。
 発表する人は、多少気恥ずかしかったかもしれませんが、しっかりとやってくださり、よい経験になったのではないかと思います。
 屋外で発表を聞いていて感じたのは、人間が広い場所で生の声を複数名の人間に届かせるのは、けっこう大変だということ。モーセやイエスらは、何百人という人々を相手に話をしたわけですから、その点だけでも、大したものだな~と考えさせられました。

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 ゼミを少し早めに切り上げて、御所から正午に出発の時代祭を見に行きました。すでにたくさんの人が来ていましたので、近くで見ることはできませんでしたが、それなりに時代祭の行列を楽しむことができました。
 こうして歩いてすぐのところで、京都三大祭りの一つ、時代祭を見に行けるのも同志社の特権ですね。いいところにあります。
 受験生のみなさん、ぜひ同志社へ(今日は宣伝モードでした(^_^;))

■時代祭
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/jidai/jidai.html

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 10月22日(木)、財団法人 社会経済生産性本部が主催する「The Challenge of Leadership Program」で講演してきました。これは、説明によると次世代の経営者たちのためのセミナーということになっています。そういうところに、なぜわたしが?という疑問もあったのですが、なんでも次世代の経営者は、文化や価値に関する教養も必要だ、ということらしいです。
 このプログラム自体半年ほどの長期にわたるものなのですが、その終盤に歴史・文化・価値に関するセミナーがセットされています。わたし以外の講師陣は、かなり大物揃いで、予定表を見て、これなら自分も聞きたいっ!という講師の名前があがっていました。ちなみに、わたしの後は、大阪大学の鷲田清一氏でした。

 わたしは「現代世界における一神教と多神教――価値の多様性と対立」というテーマで話をし、その後、90分ほどのディスカッションをしました。質問がどんどん出て、かなり盛り上がりました。さすが、みなさん、目のつけ所がシャープ! わたしも十分に楽しむことができました。

 会場は、リーガロイヤルホテル京都でした。講演・ディスカッションのあと、参加者の方々と一緒に昼食をいただいたのですが、そこは最上階の回転レストラン! ゆっくり、ゆっくり回転しながら、京都市内を眺望できる、なかなかのロケーションです。わたしは回転もの(ジェットコースターとか)は好きなので、この回転レストランも気に入りました。
 上の写真は、その回転レストランから撮影した写真です。京都を北向きに写しています。この場所からは、東西の本願寺が大きな工事用の屋根をかぶせて、修理中であるのがわかりました。写真左手に見えるのは西本願寺御影堂です。

■財団法人 社会経済生産性本部
http://www.jpc-sed.or.jp/index.html

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 今日は、宗教倫理学会の第5回学術大会がキャンパスプラザ京都で開催されました。
 タイトなスケジュールですが、発表内容はどれも充実しており、満足いく大会となりました。
 公開講演会では、上の写真のように村上陽一郎先生にご講演いただきました。村上先生の科学論関係の著書を愛読してきたわたしにとっては、待ち遠しい時間でもありました。長らく尊敬してきた人の話を聞けるのは、やはり、すばらしいことです。とか言いつつ、意地悪な質問をしてしまいましたが・・・(^_^;)
 村上先生は、国際基督教大学(ICU)が採択された21世紀COEプログラム「「平和・安全・共生」研究教育の育成と展開」の事業推進担当者(要するに責任者)でもあります。立ち話で「COE関係でお忙しいでしょ~?」と聞くと、「いや~、もう大変ですよ」とのお答えでした。うんうん、わかります(涙)。
 ICUのCOEプログラムのテーマは、わたしがかかわっている同志社のCOEのテーマと近接していますので、「何か共同のプログラムができればよいですね」と言っておきました。

 今回の総会では、役員の改選が行われました。新会長は、天理大学の澤井義次先生に。
 わたしは評議員を継続することに・・・ 3期目突入です。(T_T)
 新しい体制のもと、新しい企画を打ち出すことができればと願っています。

■宗教倫理学会 第5回学術大会
http://www.jare.jp/conference/2004.htm

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レストラン パスカル ペニョで。左手中央が、R.ルートヴィヒドイツ総領事館副総領事。

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奥には、小さいながら立派なお庭もあります。

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左はドイツ外務省東アジア局長ブルバッハ氏。中央は森先生。周りの家屋がフランス料理店とは思えませんよね!

 今日は2時間目の授業を半分くらいで終えて、来日中のドイツ外務省東アジア局長ブルバッハ氏らとランチを一緒にしました。
 わたしがドイツ外務省の招待でドイツ視察旅行に行ってから、ドイツ政府関係者とは何かとご縁があって、お声をかけていただくことがあります。今回は、同志社大学のシュペネマン先生(ドイツ人。しかし、日本人以上に日本人化している!)と森先生(神学部長)も一緒に行きました。
 行った先は、同志社から比較的近くにある丸太町のレストラン パスカル ペニョ。名前からして、粋なフランス料理店だと思っていたのですが、到着したときには目の前に経っているにもかかわらず、お店がどこにあるかわかりませんでした。何と、京都の町屋を改造したフランス料理店でした。絶妙な組み合わせに、しばし感動。関心のある方は、下記HPをご覧ください。

 ブルバッハ氏は、ずいぶん前ですが、日本語を一年ほどインテンシブに学んだことがあるとのことで、日本語を少し話していました。大した語学力です。みんなでの会話は、英語とドイツ語と日本語がちゃんぽんになった状態でした。
 ドイツの様子を聞いたり、日本の様子を紹介したり、時間はあっという間に過ぎました。
 話は自ずとアメリカ大統領選挙に及びました。ドイツでは、これまでなかったほどに反米的、反ブッシュ的な動きが高まってきているとのことでした。フランスと共に、イラク戦争に反対した国としては当然と言えるかもしれませんが、ヨーロッパの多くの国で、過半数がケリー支持になっているということでした。
 アフガニスタン大統領選挙からも目が離せませんが、アメリカ大統領選挙の結果は、一国だけの問題にとどまりません。これほどアメリカ大統領選挙で外交政策が問題になったことも、また、世界中が神経質に選挙の動向に関心を寄せることも今までなかったと言えるでしょう。

 日本は、アメリカだけでなく、ヨーロッパの動向にも関心を向け、もう少し価値観の幅を広げた方がよいと思います。

■レストラン パスカル ペニョ
http://www.dicube.co.jp/pascal-peignaud/

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 昨日、遠方からの来客があり、その方の希望により、金閣寺に案内しました。
 わたしは今年2月の国際ワークショップの際に、たくさんの外国人研究者と共に金閣寺を訪ねていたのですが(2/22記事参照)、やはりよいものは、何度も見ても飽きませんね。(^_^;)
 昨日は、気持ちの良い秋晴れで、写真も非常にきれいに撮ることができました。 金閣寺は、その建物も素晴らしいですが、周りの池や庭園の雰囲気がよいです。昨日は、柔らかな太陽の光が、水面にも金色の輝きを与えていました。

 金閣寺を含む全体は、正式には鹿苑寺と言います。1994年に世界文化遺産に登録されています。臨済宗相国寺派のお寺です。相国寺は、同志社大学の北側にあるお寺で、わたしの散歩コースにもなっています。将来、その散歩コースが「神学の道」と呼ばれるかもしれません(あり得ないです(^_^;))。

 冗談はさておき、下の写真をご覧ください。

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 これは金閣寺の中のお店にかかっていた、願掛けの種類を表す札です。「家内安全」「無病息災」など伝統的なものもありますが、おもしろいと思ったのは「ガン封じ」「ストレス封じ」。現代の世相を表していますね。「ストレス封じ」には苦笑してしまいましたが・・・

 また京都の風景を適宜お伝えしたいと思います。

 11月13日~14日に第1回「一神教聖職者交流会議」が行われます。全部で4つのセッションがあるのですが、その第1セッションを公開講演会としてオープンにしています。
 最近になってようやく発表者タイトルが出そろい(一番遅かったのは、わたしでした (^_^;))、まだ日本語への翻訳をしている最中なのですが、とりあえず、できている部分だけでもお知らせいたします。
 今年度のCISMORの目玉企画ですので、けっこう楽しんでいただけると思います。アメリカから、ユダヤ教・キリスト教・イスラームおよび仏教の聖職者8名をお招きします。


21世紀COEプログラム 公開講演会
一神教聖職者交流会議オープニング・セッション
「現代アメリカのユダヤ教・キリスト教・イスラームが直面する諸問題」

■日時:2004年11月13日(土)12:00-14:30
■場所:同志社大学 今出川校地 寒梅館ハーディーホール

◎司会: 森 孝一 (同志社大学神学部・神学研究科)

◎発表者:
1.小原克博(同志社大学神学部・神学研究科)
 「逆光の被写体――日本社会における一神教のイメージ」
2.クラーク・ローベンシュタイン(ワシントンDCメトロポリタン宗教対話協議会)
 「宗教間対話への要請」
3.ミラ・ワッサーマン(インディアナ・ベツ・シャローム ユダヤ共同体)
 「選ばれし者の選択:米国ユダヤ人の挑戦」
4.マハ・エルジェナイディー(カリフォルニア イスラームネットワークグループ)
 「米国の公的領域でイスラームを語る」

◎コメンテーター:
1.ロン・シダー(ペンシルバニア・「社会的行動のための福音派」、イースタン神学校)
2.アミール・アルイスラム(ニューヨーク・メドガーエヴァンズ大学)
3.今井亮徳(カリフォルニア・東本願寺)

※入場無料、事前申し込み不要、同時通訳あり

 10月16日(土)に宗教倫理学会第5回学術大会が開催されます。設立式を兼ねた第1回目が同志社大学で行われてから、もう5年も経つのかと思うと感慨深いものがあります。

 学術大会の一部が下記のように公開講演となっていますので、都合のつく方は、ぜひお越しください。

宗教倫理学会 公開講演

◎日時:10月16日(土)13:30-15:20
◎場所:キャンパスプラザ京都 2F 第1会議室 
◎テーマ:生命倫理と宗教
◎講師:村上陽一郎氏(国際基督教大学大学院教授)

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 秋風が心地よい時節になりました。
 上の写真は、清水寺から京都の夕景を写したものです。ちょっと暗くなりすぎていて、三脚なしでは、クリアーに撮影することは難しく、ぼんやり気味のショットになっています。それでも、真ん中あたりに、京都タワーが写っているのはわかるかと思います。

 これから行楽シーズンですが、わたしの場合、お客さんを迎えたとき以外は、観光客がひしめく場所には、なかなか足が向きません。しかし、京都の秋の風景を、折を見て、紹介できればと思っています。

 21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」(10月30日)の案内(PDF)を掲載しました。自由に印刷・配布していただいて結構です。
 ニューアカデミズムの旗手とかつて言われた(今も、もちろんご活躍中の)中沢先生の話を聞きに来るだけでも、十分価値があると思います。

 事前にちょっとだけネタばらしをしておきますと、講演タイトルは「一神教と多神教」となっていますが、そもそも、こうした問題設定では現代世界の問題にきちんと対峙できないのではないか、という話(討論)の内容にしたいと思っています。

http://www.cismor.jp/jp/doc/lecture041030.pdf

 この案内チラシの裏面に記載の趣旨説明は以下の通りです。

 日本の論壇では、特に9.11以降、一神教と多神教をめぐる論説を多く見かけるようになりました。仏教や多神教の立場から、一神教の問題点を批判し、多神教の現代的可能性を積極的に説く人も少なくはありません。  しかし、一神教か多神教か、という二者択一では、問題は解決しないでしょう。文明論的な視座から、両者の関係や問題点を考えていく必要があります。  また、一神教世界における紛争の問題や、それを解決していく方法に対する関心を寄せる人は国内にとどまりません。グローバル化する世界の中で、多くの問題が、ユダヤ教・キリスト教・イスラームといった一神教に対する理解と洞察を必要としています。  相次ぐテロに象徴される、混迷する世界秩序の中で、共有可能な価値観を見いだし、安定した基盤を作り出していくことは、危急の課題であると言えます。  この講演会では、このような一般的な関心に応えつつ、学問的な立場から、一神教と多神教の関係を整理し、今後の議論を啓発する積極的な問題提起をしていきたいと考えています。  講演者と来場者との質疑応答の時間も予定しています。どうぞ、お誘い合わせの上、お越しください。

041005

 今日は、大学コンソーシアム科目の「宗教と平和――人類はなぜ争うのか」の第1回授業で講義をしてきました。場所はJR京都駅からすぐのキャンパスプラザ京都
 大学コンソーシアム京都は、京都にある50ほどの大学の連合体で、その多くが単位互換制度に参加しています(加盟校はこちら)。
 今日の授業にも、実に多種多様な大学・学部からの学生さんが来ていました。また大学生に加え、シティカレッジ生という一般市民もコンソーシアム科目を履修することができます。
 これほど多くの大学が単位互換しているのは、京都ならではの特徴で、京都にいる大学生は、本当に恵まれていると思います。教える方としても、おもしろいですし、なかなかよい制度です。

 「宗教と平和」はコーディネート科目と呼ばれ、コンソーシアム科目の中でも特殊な位置づけを与えられています。京都ならではのテーマを、複数大学の教員で担当する科目です。
 春学期の「宗教と倫理」と共に、3年前にわたしがコーディネーターとなって始め、今は龍谷大学の高田先生にコーディネーター役をバトンタッチしています。うまくバトンタッチしながら、「ドラえもん」や「さざえさん」並の長寿番組(?)にしていきたいと思っています。(^_^;)
 年々受講者数が増えてきており、今学期は120名の登録で、今日は110名ほどの学生が教室に来ていました。

 以下、「宗教と平和」の概要と予定です。

【概 要】
 いずれの宗教も「ただしく生きる」「悪人は救われる」など崇高な教えを説きますが、現実には、新たな不正義(争い、悪等)が生まれるばかりです。<宗教紛争、人権抑圧、差別(等)>の問題が宗教と関係していることも少なくありません。「文明の衝突」「宗教間対話」が語られます。はたして、宗教は無力でしょうか。様々な宗教の共存が課題となっている現代社会の中で、問題を多角的にとらえるために、まず、それぞれの宗教文化を知ることが大事です。ユダヤ教・キリスト教・イスラムというセム的一神教、仏教や、ヒンドゥー教などの宗教(文化世界)についての基礎知識を共有しながら、「平和」への課題を考えていきます。

 1.現代世界における<悲劇>  2.ユダヤ教と平和
 3.キリスト教と平和      4.イスラムと平和
 5.仏教と平和         6.宗教多元的世界における平和

第1回 10/05 はじめに:課題「宗教と平和」 小原克博(同志社大学)
第2回 10/12  現代世界における<悲劇>  岡 真理(京都大学)
第3回 10/19  ユダヤ教と平和       中村信博(同志社女子大学)
第4回 10/26  キリスト教と平和-1    中村信博(同志社女子大学)
第5回 11/02  イスラームと平和-1    小杉 泰(京都大学)
第6回 11/09  イスラームと平和-2     中田 考(同志社大学)
第7回 11/16  キリスト教と平和-2     落合仁司(同志社大)
第8回 11/30  キリスト教と平和-3    小原克博(同志社大学)
第9回 12/07   仏教と平和-1      徳永道雄(京都女子大学)
第10回 12/14  仏教と平和-2       徳永道雄(京都女子大学)
第11回 12/21  宗教多元的世界における平和-1 澤井義次(天理大学)
第12回 1/11  宗教多元的世界における平和-2  高田信良(龍谷大学)
第13回 1/18   まとめ(複数担当者と受講生との質疑応答:パネル形式)

■大学コンソーシアム京都
http://www.consortium.or.jp/

041004

 ドイツ総領事館が主催するドイツ統一記念日レセプションに招待されていたので、ホテルニューオオタニ大阪(大阪城の近く)まで出かけてきました。
 授業の関係で到着が少し遅れ、最初の弦楽四重奏を聞き逃してしまいました。到着したときには、総領事らのスピーチの最中でした。
 上の写真の垂れ幕には次のように記されています。

  Tag der deutschen Einheit
  ドイツ統一記念日
  Deutschland in Japan 2005/2006
  日本におけるドイツ 2005/2006

 1990年10月3日に東西ドイツが再統一されたので、それを記念しているのですが、聞くと、例年は総領事館でささやかなワイン・パーティーをしている程度だそうです。しかし今年は、ホテルで大々的に、ドイツ統一記念のレセプションが行われました。
 おそらくその理由は、2005年と2006年に「日本におけるドイツ年」という特別のプログラムが企画されていることと関係していると思われます。
 そのための特別のウェブサイトも最近スタートしましたので、関心のある方はご覧ください。

 このレセプション、さすがにドイツ人だらでした。幸か不幸か、この会場にはあまり知り合いも多くいなかったので、食べることに専念することができました。(^O^)

■ドイツ連邦共和国総領事館
http://www.osaka-kobe.diplo.de/ja/Startseite.html

■日本におけるドイツ 2005/2006
http://www.doitsu-nen.jp/index_JA.html

041003

 昨日、CISMORの「アメリカのグローバル戦略と一神教世界」研究会が同志社大学の寒梅館で行われました。
 上の写真は寒梅館6階会議室での様子を写したものですが、なかなかよい雰囲気の会議室でした。
 今回のテーマは、イスラエル・パレスチナ問題で、以下のような発表・コメントがあり、それに続いて長時間のディスカッションが行われました。

1. 「パレスティナ・アイデンティティーと政治」
北澤義之(京都産業大学外国語学部 教授)
2. 「現代ユダヤ教とイスラエル・パレスティナ問題」
勝又直也(京都大学大学院 人間・環境学研究科 助教授)

コメンテーター
1. 宮坂直史(防衛大学校国際関係学科 助教授)
2. 田原牧(東京新聞特報部記者)

 イスラエル・パレスチナ問題を解決するために、宗教的なファクターがどの程度関与しているのかが、一つの焦点になりましたが、パレスチナ人のアイデンティティ一つ取っても、あまりに複雑で、簡単に答えの出る問題ではないことがあらためて、わかりました。
 しかし、少しでも解決の糸口を探る努力は続けていかなければならないと、同時に感じた次第です。

 参加者は、国際政治学や地域研究のトップレベルの人ばかりですので、議論は白熱し、楽しむことができました。
 上の写真で、わたしの右隣に座ってマイクを握っているのは、アルジャジーラの東京支局長です。さすがに、彼はメディアが果たす影響力の大きさを、繰り返し語っていました。

 こうした研究会の速報や発表要旨などは、CISMORブログでお知らせしていきます。今回の研究会の写真も掲載していますので、ご覧ください。

 今日は、日本中で、イチローの快挙が話題になっていることでしょう。メジャー年間最多259安打、感動です。
 わたしは小学生の頃は典型的な野球少年でしたが、最近は、日本のプロ野球にはほとんど関心を持たず、唯一、わたしに野球への関心を喚起してくれるのがイチローの存在でした。
 もう10年もたったとは信じられないのですが、1994年、イチローが史上初の1シーズン200安打を放ったときにも、「こんな、すごい選手がいるのか~」と心ときめきましたが、その10年後にまさかメジャーの記録まで塗り替えるとは夢にも思いませんでした。

 記録達成後のインタビューでのイチローの一問一答にも、感心させられる言葉がちりばめられていました。
 日本の野球少年へのメッセージとして、イチローは次のように答えています。

僕がこちらに来て思うのは、体がでかいことに、それほど意味はないということ。大リーグでは、僕は一番小さい方だけど、こういう記録ができた。日本の子供にも、アメリカの子供にも言えると思うけど、大切なのは、自分の持っているものを生かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。

 これって、野球に関してだけでなく、いろいろなことに当てはまることだと思います。イチローの言葉に励まされ、かつての野球少年も、なんだか、やる気がわいてきました。(^_^;)

 今日は、COEの研究会があって、イスラエル・パレスチナ問題をテーマに長い議論を交わしました。答えの出ない問題ですが、すべて終わった後で、森先生(CISMORセンター長)とイチローの話題に及び、「国際政治の舞台にもイチローみたいな人物がいないと、なかなか、元気出んな~」と。
 悪のヒーローみたいな人は、たくさんいるんですけどね。国の違いを超えて、希望や勇気を与えてくれるような政治家は、ほんと少ないな~と、しみじみ思いました。

 誰もがイチローのようになれるわけではありませんが、イチローの野球に対する情熱やひたむきさには、教えられることが多いです。

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近  著

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