小原On-Line

小原克博: 2004年9月アーカイブ

040927
福島みずほさんと(参議院議員会館 福島みずほ国会事務室で)

 今日は、朝早くに出かけ、環境省への陳情に行ってきました。
 滋賀県が志賀町(風光明媚な琵琶湖畔の町です)に大型の産廃焼却施設の建設を進めているのですが、その民主主義的な手続き・プロセスを逸脱した進め方に対し、計画の白紙撤回を求めている住民団体「志賀町産廃施設計画問題・住民ネットワーク」の活動の一環です。ちなみに、わたしはこの住民ネットワークの代表をしています。
 この問題は、あまりにも重く、複雑なので、「つれづれなるまま」を気楽に記す、このBLOGでは、この問題に触れてきませんでした。
 問題の概要は、住民ネットワークのHPでご覧になれますので、関心のある方は、どうぞ。

 環境省は、地方の問題に直接介入する立場にありませんが、将来の不測の事態に備えて、現状の報告をし、問題点の指摘を行ってきました。1時間にわたり話ができたおかげで、環境省の基本スタンスを理解できたように思います。

 環境省での陳情の後、住民ネットワークの活動に協力的な関係者のところにも、挨拶を兼ねて、説明をしてきました。民主党・社民党・共産党の各党の関係議員さんの部屋を訪ねました。
 上の写真は、社民党の福島みずほさんを訪ねた際の写真です。時間の都合上、早口で説明したのですが、よく理解してくださっていました。
 わたしが「早口ですみません!」と言うと、「わたしも早口だから、大丈夫よ!」ということでした。
 早口の人は早口のしゃべりを理解できるのか~?!と思いましたが、もちろん、そんなツッコミは入れませんでした。(^_^;)

 住民ネットワークは、政治的中立を守ってきているので、超党派の協力を求めています。もっとも、自民党勢力とは、あまり(かなり?)よくない関係にありますので、自民党には声をかけていませんが・・・

 土曜日から三日連続で新幹線に乗りました。ちょっと疲れた~

■志賀町産廃施設計画問題・住民ネットワーク
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3874/

■「滋賀県の廃棄物焼却施設計画」(「論×論21」)、『京都新聞』
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/essay.nsf/
504ca249c786e20f85256284006da7ab/3367dc8dd76db83149256c9700452fb9?OpenDocument

040926
愛知教会の前で(撮影:尾島信之伝道師)

 愛知教会で礼拝説教を担当しました。
 行ってはじめて気づいたのですが、「秋の伝道礼拝」として位置づけられており、立派なちらしまで作ってくださっていました。
 普段の説教は、20~30分くらいの長さらしいのですが、わたしの話は1時間近くに及んでしまいが、みなさん、我慢強く(?)聞いてくださりました。熱がこもりすぎて・・・ということで、お許しを。

 礼拝のあと、「講師との愛餐会」というのがありました。参加された方々からは、非常に本質的な質問が次々に出され、問題意識の高い方が多いなあ、と感心させられました。
 昨日の講演会でも同様の質問が出たのですが、どうしたら、若者が教会に来るようになるのか、という質問がありました。この問題に簡単な回答はあり得ませんが、若者のコミュニケーション感覚に合ったメッセージの伝達が必要であることは指摘しました。
 つまり、長く時間をかけて、じっくりわかってもらうという手法は、今の若者には、ほとんど通用しません。端的に、信仰や教会の本質がわかるような、わかりやすい言葉やイメージを、考えていく必要があるということです。
 福音書に記されているイエスの言葉も、非常に簡潔でストレートです。それはシンプルでありながら、いろいろなイマジネーションを喚起する力にあふれています。こうしたイエスの技法を、現代的な形で表現することが、一つの課題ではないか、と語りました。

 質問は、アメリカの情勢や、中東問題、信仰義認の問題など多岐にわたり、知的刺激に満ちた楽しい一時を過ごすことができました。
 

20040925

 名古屋中央教会で「「神」って何?――情報化社会の中で」というタイトルの講演をしました。この教会は、栄駅のすぐ近くにあって、ロケーションは抜群です。
 この講演会は、日本キリスト教団愛知西地区壮年会連合が主催していたのですが、この壮年会連合は、なかなかユニークな活動をしています。
 その一つに「愛知東西地区信徒相互応援伝道」があるのですが、信徒が自分の所属教会とは違う教会に行って、そこで説教(奨励)をする、というものです。かなり長い伝統があり、こうした仕組みがきちんと動いていることにも驚きましたが、毎年、話したい人が多くて人選に困っているほど関心が高いとのことで、感嘆してしまいました。
 他の教区で、こうした例は聞いたことがありません。こうした活動は、一朝一夕にできるものではないでそうけれど、他の教区にとっても、心強いモデルになると思いました。

 愛知万博のカウントダウンが始まっているようで、あちこちで、その様子を感じることができます。

 明日は、愛知教会で説教です。

 今日は、宗教倫理学会の定例の研究会がありました。
 塩尻和子先生(筑波大学)が「クルアーンの死生観」をテーマに話してくださいました。
 イスラームの死生観は、ユダヤ教やキリスト教に似ている点もありますが、独自の強調点を持っていることが、よくわかりました。その特徴の一つは、死者と生者の間に明確な区別を設けないということでしょう。クルアーン(コーラン)によれば、現世も来世も人間が生きる場所として、神によって定められています。

 話題は現代の問題にも及びました。脳死・臓器移植は、アラブ世界でも熱心に議論されているとのことでした。宗教的にはきわめて保守的なサウジ・アラビアで、不思議なことに、脳死・臓器移植は認められています。他方、比較的リベラルな国家であるエジプトでは、脳死・臓器移植は禁止されているらしいです。
 イスラーム指導者は、医療の世界に対しても、しばしば発言をするそうですが、なぜ、サウジ・アラビアでは、一般的にイスラームでは許容されていない脳死・臓器移植が許されているのか、どうしても気になり、質問してみました。
 塩尻先生の推測によると、サウジ・アラビアの王族たちが、臓器を必要としているからではないか、ということで、妙に納得してしまいました。

 この研究会に、同志社大学神学部に客員研究員として来ている Anders Melin 氏を連れて行きました。彼は、仏教における環境倫理に関心を持っているので、仏教を専門とする先生たちを彼に紹介したいと思ったからです。
 Melin氏は日本語がほとんどわからないので、わたしが隣に座って、拙い英語で発言の要約をしました。イスラームの専門用語は、キリスト教に近いので、まだ何とかなります。でも、仏教の用語には、ほとほと参りました。
 基本的な用語であっても、定訳が分からないので、苦労しました。
 輪廻、往生・・・ みなさん、英語ですぐ言えますか? 輪廻は transmigration、往生は birth in pure land です。birth は rebirth になることもあるそうですが、rebirth では間違いだ、という声もあります。

 日本語でもよくわからないことを、英語で表現するのは至難の業です。どっと疲れました。(^_^;)

同窓会

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040923

 今晩は、今年卒業したばかりの人たちのプチ同窓会をしました。卒業後、遠方に行ってしまった人もいますが、京都・大阪・奈良でお勤め(あるいは学生)している人たちが集まりました。
 写真でおわかりの通り、女性ばかりですが、女性にしか声をかけていないわけではありませんので、誤解のないように。(^_^;)

 河原町三条にある京都ロイヤルホテルの地下にある「フェーブルテェーブル」というお店だったのですが、雰囲気もよく、穴場でした。祝日の夜にもかかわらず混んでいなくて、落ち着いて話をすることができました。

 今日集まった人たちは、セブン・イレブン、NHK、国会図書館、裏千家茶道センター、六曜社(喫茶店)でお勤めしている人たち、また、大学院生や、ネパールから帰ってきて間もない人たちです。

 居眠りしながら仕事ができる、恵まれた(?)職場環境にいる人もいれば、セブン・イレブンのように、非常に厳しいノルマが課せられ、大変な営業努力をしている人まで様々です。
 いろいろな苦労話の中で、夜になると涙が出てくるとか、何度も仕事をやめようと思った、とか聞いていると、本当に胸が痛みます。
 そうした欲求不満をぶちまけながらも、腹を抱えて笑うような会話ができる仲間がいることは、すばらしいことです。

 一年前には、みな、同じゼミで机を並べていた仲間たちが、今は、それぞれの場所で、自分の人生にチャレンジしています。
 一人ひとりの話を聞いていると、ちょぴり心配なったりもしますが、これからが楽しみです。あれこれあっても、そう思わせてくれるのは、若者の力なのでしょう。

 二次会で、三条大橋のスターバックスに行きました。ここは鴨川に面している素晴らしいロケーションにあるのですが、それ以外の点でも、すばらしいお店であることがわかりました。
 六曜社で働いている方(つまり、普段は喫茶のプロなんですが・・・)が、飲んでいたカフェラテをテーブルにぶちまけてしまいました。テーブルや床を拭いていると、お店の人がやってきて、手際よく紙ナプキンをわたしてくれただけでなく、こぼしたものが何であったのかを聞いて、カフェラテをもう一つ持ってきてくれたのです。
 一同、感心することしきり。三条大橋のスターバックスはずいぶん株を上げました。(^.^)

 同志社大学 一神教学際研究センター(CISMOR)のブログを始めました。
 できるだけ、こまめに鮮度の高い情報を掲載していきたいと思っています。
 あ~、また仕事が一つ増えた~ (T_T) とは思っていても、口に出しては言いません。(^_^;)

 ともかく、ネタは比較的多く転がっているので、うまくCISMORブログを活用していきたいと思います。
 CISMORブログは一応オフィシャル・ブログなので、表現は堅めになりそー、です。このブログのように、くだけた感じでやってしまうと、おしかりを受けそうなので。

■CISMORブログ
http://cismor.exblog.jp/

 今晩は、京都民医連中央病院 倫理委員会がありました。
 今晩ようやく、今年初めから議論を重ねてきた「胎児超音波検査におけるNT (cuchal translucency)」の取り扱いに関するガイドライン」が完成しました。また、患者さん向けに配布予定の「出生前診断の考え方と妊娠時の超音波検査について」も承認されました。

 いずれも近いうちに全文公開されますので、関心ある方はぜひ、そちらをご覧ください。今後、国内における問題提起のために、関係諸機関にも周知していく予定です。
 NTは、5月20日の記事にも記しましたが、胎児の後頸部の皮下の液体貯留像の厚みによって、障がいの有無をおおざっぱに推測できるというもので、近年の高性能な超音波検査によって、こうした事実がわかるようになってきました。医師が、超音波検査の際にNTを発見した場合、それを積極的に告げるのか、告げないままにしておいた方がよいのか、が論点の一つです。
 告げた場合には、選択的中絶につながる可能性があります。そこで、安易な中絶を助長すべきではないという価値規範と、医療情報を開示すべきだという価値規範とが、ぶつかり合うことになるのです。

 この点について、今回できあがったガイドラインでは、ずばり、次のようになっています(一部抜粋)。
 「当院は選択的人工妊娠中絶、及びそれにつながる出生前診断に反対する。」
 「当院では超音波検査を、安全な妊娠・出産を可能にすることも目的として実施する。NTに関する画像情報はこの目的に添う情報でないため、当院ではNTの確認を行わない。また超音波検査中に偶然NTを認めた場合でもその事実を伝えない。」
 「妊婦がNTの測定を希望された場合にはまずカウンセリングを行い、その上でなお希望される場合にはNTを測定している他の医療機関を紹介する。」

 ここまで、はっきりとした結論に至るまで紆余曲折がありましたが、かなり明快なステートメントであると思います。
 もちろん、NTを肯定的に考える産婦人科医もいるでしょう。おそらく、国内ではNTに関するガイドライン作成は初めてだと思いますので、これを議論の端緒として、よりよい医療サービスが追求され、生命についてのより成熟した思索がなされていくことを期待したいと思っています。

 小原克博 On-Line にも掲載していますが、9月以降の講演などの主な予定は次のようになります。

▼9/25/2004
講演「「神」って何? ―― 情報化社会の中で」、日本基督教団愛知西地区壮年会連合研修会、名古屋中央教会

▼10/21/2004
講演「現代世界における一神教と多神教――価値の多様性と対立」、The Challenge of Leadership Program(主催:財団法人 社会経済生産性本部)、リーガロイヤルホテル京都

▼10/30/2004
講演「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」、21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」、同志社大学 今出川キャンパス 明徳館21番教室

▼11/9/2004
講義「動物の権利」、鳥取大学医学部

▼11/13/2004
Lecture (untitled), "Issues Facing Judaism, Christianity and Islam in Contemporary America: A Religious Leaders' Conference on Monotheistic Religions", Kyoto, Japan

 こうやって眺めると、けっこう間隔が詰まっているので、直前に慌てないためには、今から計画的に準備しなければ、と思い始めています。
 大学での秋学期の授業は、新しい科目もあるので、こちらの準備も大変そうです。
 深刻に考えると、ため息が出そうですが、うまく工夫していきたいと考えています。公開講演などは、より詳細な案内をいずれ掲載いたします。

 秋の催しをもう一つ紹介。
 10月から、イスラエル旅行の写真などを展示しながら、COEの活動を紹介する写真展を開催します。場所は、同志社大学 今出川キャンパス 神学館1階ピロティを予定しています。
 撮ってきた写真をA3サイズくらいにプリントして、それぞれに簡単な説明をつけた写真展にしたいと考えています。
 どんな写真がセレクトされるかは、お楽しみに。

 マイフォトにイスラエル旅行の写真を追加しました。
 あまり絞り込みすぎると、おもしろくないかと思い、失敗作や類似したものをのぞいた写真を一挙190枚掲載しました。
 3分の1弱の写真には説明をつけたのですが、あとは少しずつやっていきます。あと数日はかかるでしょう。
 しかし、BLOGで旅行の概要をつかんでおられる方にとっては、だいたい、どのようなシーンかを想像していただけるのではないかと思います。

 クムランで発見された死海写本に関しては、わたしの滞在中頃から、その信憑性をめぐって、新たな議論がおきています。今も、そのニュースを時々目にしますが、クムランや死海写本がまだ目に焼き付いているので、新鮮な気持ちで関連ニュースを読むことができます。

 いずれにせよ、文章では表現しにくいようなイスラエルのイメージを、写真を通じて、少しでも感じていただければ幸いです。

040905
中村行明師(ブッダ会会長)

 昨日の話の続きです。
 講師の一人に中村行明師がいました。彼は学生時代に日本を飛び出し、インドを放浪する中で出家しました。その後、25年近くインドに滞在し、様々な活動をしてこられたことを講演では話してくださいました。
 この講演の内容が感銘深かったのは言うまでもありませんが、わたしの印象に残ったのは、彼と立ち話していたとき、彼がふともらしたエピソードです。
 彼はキリスト教が嫌いで、そのような先入観から、マザーテレサには当初、うさんくささを感じていたとのこと。ところが、初めて出会ったとき、マザーテレサが光り輝いていることに驚いた、と言っていました。
 それから、マザーテレサが、インドの男社会の中で、女性を中心とした活動をし、シスターらしい身なりをしないで、現地の女性がまとっているサリーを自らもまとい、また、バチカンの反対にもかかわらず、死にゆく人々に手をさしのべる姿の中に、とてつもない精神の深さを感じ取ったというのです。
 それ以来、マザーテレサが亡くなる20年近い、付き合いをしてきたと中村上人は、感慨深げに語っていました。

 わたしは、まるで不信心者のように「ほんと~に、光り輝いていたんですか~?」と尋ねると、「本当に輝いて見えた」と言うのです。
 マザーテレサが、ただ者ではないことは明らかです。しかし、同時に、その輝きを認めることができた当時の中村青年も、大したものだと思いました。

 輝くような内なる力を持つこと、また、それを見抜く力を持つこと、そのいずれもが貴重なのだということを考えさせられました。

040904
森本公誠氏(東大寺別当・華厳宗管長)

 今日は、奈良で「21世紀の智と実践を考えるフォーラム」に参加してきました。これは、昨年ダライ・ラマを迎えたときに結成されたもので、わたしも発起人兼世話役としてかかわっています。ほとんどの人が仏教関係者なのですが、なぜか、わたしがかかわっています。
 来年4月にダライ・ラマが来日するそうなのですが、そのときに、チベット仏教と日本仏教の交流ができないか、という要請をダライラマ・オフィスから受けています。今後、検討して対応することになります。

 さて、フォーラムでは今回が一般向けの第一回目の講演会を行いました。3名の方が講演し、わたしは質問者として登壇しました。
 上の写真は、東大寺の森本上人。イスラム研究者でありながら、東大寺の僧侶でもあるということで、よく新聞などにも登場する方です。
 今後、このフォーラムがどういう役割を担っていくのかは、よくわかりませんが、多数の仏教者の中に混じって、少しでも仏教関係者が現代の問題に取り組んでいく手伝いをしていきたいと思っています。

 講演会終了後、夕食を共にし、森本上人とイスラームとキリスト教の歴史的・思想的接点について、長く話し込みました。森本上人は初期ギリシア教父などの思想にも注目しており、なかなか、幅の広い知見の持ち主であると思いました。
 イスラームとキリスト教と仏教の関係を考えるのは、なかなか刺激的です。

 本日、スェーデンのルント大学から、Anders Mellin氏が同志社大学神学部の客員研究員として来日しました。わたしは、一応、彼の日本での指導教授ということになっています。
 研究の指導はあまり自信がないので、生協食堂で、どうやって天丼を注文するのか、という指導をしました。(^_^;)
 ともあれ、基本的な説明をしたので、これから徐々に日本食や日本の生活に慣れていって欲しいと願っています。

 彼の研究テーマは、キリスト教と仏教における環境倫理です。スェーデンはヨーロッパでは環境大国の一つに数えられているだけあって、環境問題に関心を寄せる研究者は多いそうです。彼の口から、"ecological theology"という言葉が、ごく自然に繰り返し出てきたのも、そうした実情を物語っているように思いました。

 キリスト教の分野では、わたしも比較的、環境問題については押さえてきているつもりですが、仏教の方は、おおざっぱなことしか、わかりません。これまで、宗教倫理学会の研究会などで、仏教の自然観についても、ずいぶん学ぶ機会は多かったのですが、まだこれからです。

 読者のみなさんの中で、キリスト教の立場であれ、仏教の立場であれ、環境問題に関心のある方、あるいは、そういう方をご存じの方は、ぜひお声かけください。Mellin氏に紹介したいと思いますので。

 まだ暑い日は続きそうですが、8月はあっという間に過ぎてしまい、すでに9月になってしまったことが、にわかには信じがたいほどです。9月は少し落ち着いて、秋への備えをできればと思っています(そう、うまくいくかどうかは怪しいですが)。

 月が変わり、気分転換しようと思っても、新聞に目をやれば、テロが続いている世界に変わりはありません。
 モスクワでの爆破テロでは、犯行声明が出され、チェチェンでのイスラム教徒を支援することが目的であるとのこと。
 イスラエルでは、ベールシェバで起こったバスの自爆テロに対する、報復攻撃がヘブロンに対してなされようとしています。イスラエル国内では、分離壁がヘブロンまで届いていないことが、実行犯の侵入を許した原因だと、との右派からの批判も出ているようです。
 分離壁に関しては、今回イスラエルに行って、様々な声を聞くことができました。しかし、かなりリベラルなユダヤ人であっても、分離壁そのものを不要である、とは言いません。わたしは、国際司法裁判所が違法と決定した分離壁に対しては、パレスチナ人だけでなく、イスラエルの良識派にはその決定に同調する人が、少なからずいるのではないかと思っていました。
 しかし、実際には、分離壁ができてからテロが5分の1以下に減ったことなどをあげ、分離壁のやむを得ない必要性を説く人が多かったのが印象的でした。
 パレスチナ人と関係の深いユダヤ人人権団体も、分離壁撤廃ではなく、その位置を適切な場所へと移動することを、運動の主眼としているようでした。つまり、パレスチナ人の生活を分断するような分離壁の建設は反対するが、建設そのものには強い反対はないように感じました。

 テロの問題は、本来は、国家や人々がその主権を奪われる葛藤や混乱の中から生まれてきているわけですが、その行動原理として宗教が使われていることが、ロシア、イスラエル、そしてイラクでも共通していることです。
 もつれた糸をほぐすのは簡単ではありませんが、ユダヤ教、キリスト教、イスラームといった宗教の動向を視野に入れなければ、問題の解決には及ばないでしょう。

 9月に入って、少しイスラエルで経験したことを振り返ったり、整理しながら、今後の課題を探ってみたいと思っています。

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自己紹介

近  著

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