ハンブルクからフランクフルトまで1時間ちょっと、フランクフルトで2時間半ほど待って、関西国際空港に10時間半ほどかけて帰国しました。昔と比べれば飛行時間は短くなったとはいえ、狭い機内での長旅は疲れます。
出国の前の日くらいから体調が悪く、飛行機の中では寒気がして、帰ってからも体調がすぐれません。疲れがたまったせいだとは思うのですが、体の節々が痛いです。
一休みして、ハンブルクでの最終日のことなどを簡単に報告したいと思います。
小原克博: 2004年4月アーカイブ
ハンブルクの魅力の一つは、アルスター湖やエルベ川があることでしょう。アルスター湖沿いの小道は、ジョギングや散歩を楽しむ人たちの往来が絶えません。
午前中はアルスター湖をながめながら散歩を楽しみました。宿泊しているホテルから、町の中心までは歩いて20分ほどです。ハンブルクはベルリンに次ぐ大都市でありながら、アルスター湖があるおかげで、非常に落ち着いた雰囲気があります。
市庁舎前では「ハンブルクとヨーロッパ」というテーマのお祭りが開催されています。EUの加盟国や、加盟が検討されているトルコなど、各国の出店が所狭しと並んでおり、それぞれのお国柄を知る絶好の機会となりました。伝統工芸を出店している国もあれば、食べ物を提供している国もあり、様々な文化や伝統が一堂に会することの楽しさ・すばらしさを肌で感じることができます。
日本でも、(東アジア諸国を中心にして)同じようなことができれば、どんなにすばらしいだろうか、と思いました。
午後はエルベ川の港巡りの観光船に乗りました。ハンブルクはドイツ最大の港町ですが、その様々な顔を見ることができました。「緑の党」のヘッド・オフィスもエルベ川沿いにあり、自前の船も保有しています。核燃料輸送船や捕鯨船に抗議する際に使われる、緑の党の船も、ここから出航しているのかと考えると感慨深い気持ちになりました(←こんなことで感動している観光客はあまりいないと思いますが・・・)。
港巡りを終えた後は、歩いて町中まで戻りました。その途中にあったのが、上の写真にある聖ニコライ教会です。観光客が訪ねるような教会ではありませんが、わたしは他の教会以上に、この教会のたたずまいに心奪われました。この教会は第二次世界大戦中に破壊され、尖塔の部分だけが修復され、戦争の傷跡を今に至るまで示しています。
爆撃で黒こげになった教会を、まるでいたわるかのよう、周りの木々の緑がやさしく、そして力強く映えていました。
ドイツに限らずヨーロッパでは、英語でたいていの用を足すことができます。しかし、英語に加えて、もう一つくらい外国語ができると、世界の幅が広がると思います。
今回、視察旅行を共にしている人たちの中でドイツ語をしゃべれるのは、わたしともう一人キプロスの女性だけなのですが、どの人も3カ国語程度はしゃべることができます。5、6カ国語をしゃべる人もいます。
日本の語学教育は、英語一辺倒になりがちですが、英語と相性の合わない人は、別の言語を積極的に選択するくらいの余裕があった方がよいと思います。英語が多少苦手でも、ハングルや中国語のできる人が増えれば、東アジアにおける友好関係は、うんと深まることでしょう。
言語と文化は一体のものですが、英語中心のグローバリゼーションに対しては、適度な距離を取っておかないと、多様な文化を残していくことはできないでしょう。
ちなみに、ヨーロッパでは、多言語教育に対するインフラが非常によく整っています。各国のそしてEUのアイデンティティを模索していく上で、母国語以外の言語を複数学ぶことが大事だという共通認識があります。
ドイツに限定して考えても、英語でアクセスできる範囲は自ずと限られています。
食事を一例にあげることができます。今回旅行の中で、英語のメニューが用意されていないお店で、わたしがドイツ語のメニューを英語で説明する場面が何度もありました。しかし、わたしもドイツ料理や他の国の料理をすべて知っているわけではありませんから、何度も説明に窮することがありました。
特に、魚料理では困りました。日本語でも魚については、よくわかりませんので、ドイツ語で理解できるはずがありません。自分の舌にあった料理をセレクトするためには、現地の言葉を知っていることが欠かせません。
言葉は文化と表裏一体です。複数の外国語ができれば、それだけ価値観の幅、文化理解の幅が広がるわけです。確かに英語ができれば、たいていのことは不自由しません。しかし、アメリカを中心とする英語圏の価値観だけで、文化の多様性を語ろうにも、非常に抽象的になさざるを得ないのではないか、という危惧を抱かざるを得ません。
フランスと並んで、EUのリーダー国のドイツも、自国の経済不況や失業問題で苦しんでいます。アメリカが持っている勢いとは比べるべくもありません。しかし、国内に三百万人いるイスラム系住民に対する真摯な取り組みは、未だ十分ではないとはいえ、アメリカ流のグローバリゼーションからは見えない多くのことを教えてくれます。
かく言うわたしも、日頃は、手軽に読める英語の文献を中心に研究をし、EUの動向については必ずしも十分な注意を払ってきませんでした。今回のドイツ旅行は、そうした日頃の怠慢に対し、大いに反省を迫られる機会となりました。
水を運ぶ男の像はハンブルクの象徴の一つです。町中のあちこちに見られますが、現代的なカラフルなコスチュームに彩色されているものも、たくさんあります。上の写真は、EU風の男です。
ハンブルクの市庁舎(Rathaus)を背景にして。大きな市庁舎が町の真ん中にあるので、これを目印にすれば道に迷うことがありません。この市庁舎の近くで、多文化フェスティバルのような屋台が立ち並んでいて、その一つであるトルコ料理のテントで昼食を食べました。
立ち並ぶ屋台の間では、小さなモーターショーも行われていました。上の写真は、オープンカー・タイプのSmartに乗っているところです。扉は上下の開閉式です。扉を閉めるのはすぐできたのですが、その後、開け方がわからなくて、恥ずかしい思いをしました。(^_^;)
土曜日と日曜日は公式なプログラムがないため、買い物や市内観光に時間を費やすことができました。
中心街を見て回り、買い物をした後、ハンブルク市立美術館(Hamburger Kunsthalle)に行きました。ゴシックからモダンアートまでをカバーする、かなり見応えのある美術館でした。
夕方からは、コンサートホール(Musikhalle)にクラッシック・コンサートを聴きに行きました。
これまでは政府関係機関を訪ねることがもっぱらで、「政治」に触れる機会はあっても、「文化」に触れる機会が少なかったので、土曜日は、美術と音楽の両方を堪能することができて、心が安らぎました。
今、ハンブルクにいます。
昨日は、早朝にボンで一つアポイントメントがあり、その後、ケルンそしてハノーファーで、それぞれ一つずつプログラムをこなし、ハンブルクに到着したのは夜の9時過ぎでした。なかなかのハードスケジュールであったわけですが、列車での旅行が好きなわたしにとっては、移動の時間は、少しほっとさせられる時間でもありました。
インターシティをはじめ、ドイツの列車は座席がゆったりしており、なかなか快適です。車窓から、移り変わる景色を眺めるのが好きです。ドイツの北の方は農耕地帯が多いので、牧歌的な景色が続きます。時折、街もありますが、小さな街が点在するに過ぎません。そんな変哲もない景色が、妙に心を和ませてくれます。
さて、上の写真はボンで「イスラム中央協議会」(Zentralamt der Muslime in Deutschland E.V.)のホフマン博士(写真・左)と話し合っている場面です。ホフマン博士は、アルジェリアやモロッコのドイツ大使を務めたこともあり、含蓄のある話に様々な関心を喚起されました。公立学校での教師のヒジャーブ着用の是非をめぐる問題に始まり、十字軍やジハードなどの問題にも話は及びました。
ジハードが「聖戦」と見なされているのは誤解であるという見解には、同席したムスリムの友人たちが、口々に同感の意を示していました。「聖戦」は十字軍に帰せられるべきであり、十字軍はムスリムにとっては、忘れることのできない集合的な記憶(collective memory)であると強調されていました。
毎年、木曜日の第3週が「オープン・モスク」の週に定められているらしいのですが、9.11以降、それまでたくさん来ていたドイツ人たちが、すっかり来なくなってしまった、と語っておられました。
また大使の経験から、イスラーム諸国の中には、政治腐敗や人権無視が横行している国が少なくない、ということも率直に指摘されていました。そうした国には、むしろ外側からイスラームを再輸入する必要があるのだ、という主張には、イスラームと政治の結びつきの強さを再確認させられる思いがしました。
ボンを後にして、ケルンでは、「ムスリム女性センター」(正確には、Begegnungs- und Fortbildungszentrum Muslimischer Frauen)を訪ねました。この世界には、20以上の国籍のムスリム女性が多数集まってきているとのことで、ドイツ社会においてムスリム女性の社会的地位の改善のために、様々な努力がなされているのが、印象的でした。ドイツ語、コンピュータ、イスラームに関するクラスがあるだけでなく、家庭の問題などを相談できるようなカウンセリング・サービスもあります。
決して安定しているわけではない経済的基盤の上で、自分たちの活動について力強く、そして希望を持って語る彼女たちの言葉には心打たれるものがありました。
ケルンから2時間半ほど列車に乗ってハノーファーに向かいました。ここから先は、わたしが一行の添乗員を務めることになりました。(^_^;) 「ドイツ語もできるし、一番しっかりしているから・・・」等々、うまく言いくるめられ、結局、引き受けることになったのでした、キャンセルされた座席の払い戻しなど、ややこしい事柄をドイツ語で説明するのは、けっこう大変でした。また、すぐに行動してくれない人もいますので、列車が動き出してから、扉から飛び降りるという、冷や汗ものの場面もありました。
列車にもよるのですが、ヨーロッパでは自分の手で扉を開けるタイプのものが少なくありません。ですから、発車前であれば、扉を開けていて、そこから乗り降りできるのですが、アブナイので普通はやっていはいけません。(^_^;)
ハノーファーでは、ドイツ福音主義教会(Evangelische Kirche in Deutschland, EKD)を訪ねました。そこでイスラーム対話部門の責任者と話をすることができました。わたし自身、かなり批判的な質問をいくつも投げかけたのですが、一つひとつに丁寧に答えてくださり、また、関係の資料をたくさんいただきました。
かつて、マイノリティとしてのムスリムをめぐる問題は、トルコをはじめとする外国人労働者(Gastarbeiter=guest workers)に焦点が当てられていたのですが、今では、社会の関心は、キリスト教とイスラームとの対立という点にシフトしてきている、とのことでした。確かに、今やドイツ国内に三百万人以上いるムスリムは、もはや「お客さん」とはいえない存在感を持っています。
ここでも、政教分離の多様性の問題が触れられていました。ドイツは世俗国家であることに違いはないが、フランスとは異なり、政府と教会は協力関係にある、といったことが語られていました。EUの中だけを見ても、政教分離は実に様々です。日本でも、そうした多様性について、関心を向ける必要があるでしょう。
その後、列車でハンブルクに向かい、夜遅くにホテルに到着後、魚料理を食べにでかけました。港町ならではの味わいを楽しむことができました。
フンボルト大学(ベルリン)の入り口建物の中で。壁面にはカール・マルクスの有名な言葉が金文字で刻まれています。
Die Philosophe haben die Welt nur vershiedentlich interpretiert, aber es kommt aber darauf an, sie zu veraendern.
哲学者は世界をただ様々に解釈してきただけであるが、世界を変えることこそが大切なのだ。
Bundeskanzler(連邦首相府)の屋上で。
ボン大学で東洋学(Orientalisches Seminar)の学生たちとディスカッション。
昨日はボンで一日を過ごしました。
最初に行ったのは、ノルトライン・ヴェストファーレン州の教育・文化省。ここでは宗教教育の現状について学ぶことができました。ドイツの場合、教育システムは州ごとに異なるので、簡単には一般化はできませんが、少なくともノルトライン・ヴェストファーレン州では、時間をかけて宗教教育、特にイスラーム教育のカリキュラムを考えてきたようで、感心させられる部分が少なくありませんでした。
公立学校でプロテスタント、カトリック、倫理の授業以外に、イスラームのための宗教の授業を導入しています。トルコの大学教授らと共同の作業をしながら、内容を固めていったようです。イスラームとは何か、何を教えるべきなのか、は簡単な問題ではありませんが、長年の取り組みは実を結びつつあるようです。
何と、ドイツでイスラーム教育カリキュラムがトルコで参考にされ、部分的に採用されているとのことでした。
その後はボン大学を訪ね、上の写真にあるようにボン大学の東学の学生たちとディスカッションをしました。ドイツにおいても、9.11以降、イスラームに対する社会的関心が一気に高まったとのことでした。
その後、地下鉄に乗って移動し、ドイツ司教会議でカトリックの取り組みを聞きました。ここでも議論が白熱しました。イスラームとの対話に関してカトリック教会がまとめた本をいただいたのですが、この本があっという間に売り切れて大量に増刷したとのこと。信徒のレベルでもイスラームに対する関心が、特に9.11以降、急速に高まったようです。
今、ドイツでは夜の9時頃まで明るいので、ついつい遅くまで出歩くことになります。8時半頃に視察旅行のメンバーと落ち合って、トルコ料理店に行きました。
メンバーの何人かが仕事の関係で、明日、帰国するので、お別れ会も兼ねていました。
前にも述べたように、このメンバーは本当に個性派ぞろいで、視察プログラム以上に、この仲間たちから大きな刺激を受けました。パレスチナ、ガーナ、パレスチナ、インド等々の現状を聞いたり、議論の中で彼ら・彼女らの議論を聞いているうちに、どんどん問題意識が深まり、様々な文化的背景を持った者同士が共通の課題を担うことの大切さを肌で感じることができました。
大げさな言い方をすると、この仲間たちとの出会い、インテンシブな討論の中で、自分の世界観が変わっていったような気がします。「井の中の蛙」にならないよう、そして、より広い視点で世界を見ることができるよう、この出会いを今後の糧にしていきたいと思っています。
ドイツ外務省の食堂で
外務省の建物の中で。ガラスを多用して政治の「透明性」をあらわしています。
ベルリンでは超ハードスケジュールのため、メールチェックで精一杯で、BLOGを思うように更新できませんでした。今夕、ベルリンからボンに飛行機で移動してきました。これからは少しだけ余裕がありそうなので、もう少しまめに更新できると思います。
ベルリンでは、観光名所はほとんど訪れることなく、ひたすら、政府機関や関連の組織や大学を訪ねてはブリーフィングをしてもらい、その後、ディスカッションをするということの繰り返しでした。複雑な話が多く、かなり疲れましたが、インテンシブに議論をしてきたおかげで、かなり問題点が見えてきました。
フランスと同様、ドイツでもムスリムのスカーフの問題はかなり大きな議論を引き起こしたようです。ただし、フランスとドイツとでは、政教分離の考え方がかなり違いますので、結論も同じにはならないようです。
ドイツ基本法(Grudgesetz)で保証されている信教の自由をどのように解釈していくか、という法律的な問題がまずあります。さらに、イスラームの場合、カトリックやプロテスタントのような、信者全体を包括する公的団体がないことが問題を複雑にしています。政府のカウンターパートがイスラムの場合、見えにくいということです。
トルコのEU加盟の問題も、しばしば話題になりました。EUの中には、EUをクリスチャン・クラブのように考えて、トルコの加盟に否定的な見解もありますが、しかし、イスラームを含めてEUの未来像を考えようとしている人の方がおそらく多いと思います。
中東問題やイラク復興問題に関しても、ドイツやEUが積極的な関与をして、アメリカとは異なる基軸を国際社会に示すことができれば、大きな意味があることでしょう。特に、アメリカべったりの日本人にとっては、アメリカ以外の文化や価値観のあり方に目を向けていく必要があると思います。
SONY CENTER。旧東ドイツの地域にそびえ立っている、斬新な建物です。5年前にできたそうです。
今回のドイツ視察プログラムの参加者たち。かなり個性的な人が多く、おもしろいです。
オペラハウスの前で。わたしの隣にいるのは、キルギスタンの女性ジャーナリストです。
今日(18日)の午前中はベルリンの中心部をバスで回りました。歴史的な建造物をインテンシブに見て周り、基本的な情報のレクチャーを受けました。
わたしにとっては15年ぶりくらいのベルリン訪問でした。特にベルリン東部はあまりにも大きく変わっていたため、驚きを禁じ得ませんでした。
わたしがドイツに留学していたときに、東西ドイツの統一という歴史的事件に立ち会うことができ、当時、ベルリンの壁を削って、その破片を多数持ち帰りました。
統一前のベルリンも、わたしは知っているのですが、その頃から考えると、ベルリンはすさまじい変化を遂げたことを、今回は実感させられました。
絶えず変化を遂げている都市ベルリンは、多くの人々、特に若い世代の人々を引きつけ、高齢化社会ドイツの中では例外的に、若者の占める割合が非常に大きい都市であると聞きました。統一後に建てられた建物には斬新なものが多く、歴史性と先進性の両方がベルリンの魅力となっていることを感じました。
失業率の高さ(約18パーセント)も大きな課題には違いないのですが、全体としては、ベルリンは大きな活力に満ちた都市であると思いました。実際、観光客の数で言うと、ロンドン、フランスに次いで、ヨーロッパで第三番目の集客力を持っているとのことでした。
そしてベルリンには、12万人のトルコ移民が住んでおり、トルコの人たちを筆頭に、ムスリムの人たちのintergrationとidentityの両立が問題となっています。
午後は、イスラーム文化協会の人たちとディスカッションをしました。トルコ人に関して言うと、今、3世の時代に入っているわけですが、ドイツ社会でうまくいっている部分と、そうではない部分とが混在しています。しかし、そういう課題を、地域の人たちが共に担おうとしている姿勢には、希望を感じさせられました。
夜は、オペラハウスでバレーを見ました。わたしはバレーに対する鑑賞力がないので、内容については説明はできませんが、普段、バレーを見ることはないので、すべてが新鮮に映りました。
明日は、ドイツ外務省をはじめ、官庁関係を回る日になります。
ドイツに仕事を持っていくことができないので、徹夜で書類関係を仕上げて、あわてて荷造りして日本時間の17日早朝5時過ぎに関西国際空港に向かいました。
案の定、忘れ物がいろいろありましたが、空港で何とか買いそろえることができました。あわてて飛び出したため、ベルトをするのを忘れていました。(^_^;) 空港に着いてから、ズボンがずり落ちてくるのを感じて、あっ!と気づいた次第です。モデム・チェッカーも忘れていたので、空港で買いました。おかげで、今、このようにベルリンからインターネット接続して、BLOGに書き込むことができています。
ベルリンには4日間いますので、少なくともその間はBLOGの更新ができそうです。
ドイツ入国は実にあっさりしていて、10数年前と基本的に変わりませんでした。アメリカ入国がとても大変だったという記憶がまだまだ生々しく残っているので、それとの違いに拍子抜けするほどでした。
アメリカ入国は、9月1日からさらに厳しくなるようです。指紋とデジタル写真を入国の際にとるようです。
到着日の土曜日は夕方から顔合わせのミーティングをしました。インド、キルギスタン、キプロス、パレスチナ、ガーナ、トルコなど、参加者の顔ぶれは多彩で、いきなり話が盛り上がり、部屋に帰ったのは12時前でした。パレスチナ問題で議論が白熱し、やはり、この問題は現代世界にとって危急の課題であることを、あらためて認識させられました。
さすがに各国の代表とあって、みな、知的好奇心旺盛で、議論好きで、おしゃべり好きのわたしが気後れするほどでした。(^_^;)
ベルリンでのプログラムは超ハード! ベルリンは確かに見所が多いのですが、限られた日数で、かなりいろいろなところを訪問し、議論を交わすことになっており、そのタイトなスケジュールには、ちょっと、びびっております。
明日は(日本の日曜日)、ベルリンの西側を中心に動き回る予定です。
できるだけ、まめにBLOGを更新したいと考えています。
滞在しているホテルは、ベルリンの中心部を流れているシュプレー川のほとりにある、なかなか、いい感じのホテルです。上の写真は、部屋から撮った写真です。
今週土曜日から10日間ほど、ドイツに出かけてきます。
ドイツの外務省による招待プログラムで、「イスラームとの対話」をテーマとした視察旅行に参加します。日本からは、わたしが参加し、他の国からも1名ずつ集まって、10~15名程度の一団となるようです。どこの国から来るのかは、まだよくわかっていません。現地に集合してからのお楽しみ、という感じです。
大ざっぱに次のような日程になっています。
4/17-21 ベルリン
4/21-23 ボンとケルン
4/23 ハノーファー
4/23-27 ハンブルク
ドイツには、トルコからの外国人労働者(Gastarbeiter)がたくさんいて、今や3世の時代ですから、「イスラームとの対話」は、学問的な問いというよりは、きわめて生活に根ざした具体的な共生の知恵を指向しています。
お隣のフランスも同様ですが、様々な課題を抱えながらも、それに真摯に取り組もうとしている様子を見てきたいと思います。きっと、日本も、そこから学ぶべきことが多いはずです。
うまくいけば、ドイツからBLOGを日々更新してきたいと思っています(うまくいかなければ、しばらく音信不通ということになります)。
テレコネクターというモジュラーの形状を変換する装置も、今日、買ってきました。
ドイツでの様子を発信できればと思う反面、インターネットに接続して、仕事のメールや督促メールがドイツまでやってくるとイヤだな~という気持ちもありますね。ドイツ出張でメールを読めませんでした、ということで知らないフリをしようかな~ (^_^;)
月曜日は、何と、2講時・3講時・4講時と授業がつながっています。一つの授業が90分ですから、午後から、4時間半ほど、しゃべり続けたことになります。いくら、おしゃべりの私でも、これはけっこう、きついです。終わった後、どっと疲れが出ました。
学期始めは、まだ慣れないこともあって、妙に力が入ったりするので、余計に疲れるのかもしれません。
とりあえず、春学期の講義概要は下のリンクからご覧になれます(一部未完成ですが)。
今日は、六甲にある神戸山ノ手迎賓館というところで、結婚式の司式をしてきました。上の写真は、式が終わって、参列者のみなさんが披露宴の式場に行かれた後、フラワーシャワーが降り注いだあとの場所で撮影したものです。
写真からも少し様子が分かるかと思うのですが、六甲の高台にあって、海を見下ろすことのできる、なかなか洒落た会場でした。
普段わたしは結婚式の司式は引き受けないのですが、親友の弟さんの結婚式であったため、例外的にお引き受けをいたしました。結婚式の説教の中で、グローバリゼーションやイラク戦争に触れたりするなど、ちょっと普通の結婚式では聞けないようなメッセージを語りました。(^_^;)
もちろん、テーマは愛について、です。
人生に困難はつきものですが、結婚されたお二人が、苦しいことも楽しいことも共に担われていく中で、豊かな家庭を築かれていくよう願わざるを得ません。
わたしには詳しいことはわかりませんが、同志社が財政の健全性でAA+の評価をもらったのだそうです。詳しいことは、下記『京都新聞』記事をご覧ください。
写真の真ん中が神学部の野本先生(学校法人同志社理事長)です。
■“AA+”の格付け取得 上京・学校法人同志社(京都新聞:2004.04.08)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2004apr/08/W20040408MWC2K1B0000077.html
「寒梅館」7階から見た東向き風景
みなさんがお住まいの地域でも、美しい桜をご覧になったでしょうか。
京都では満開を過ぎて、春風に桜吹雪が舞う時節となってきました。同志社礼拝堂の前にある桜の形が微妙に美しく、写真におさめました。
春の華やかさと、桜散る「はかなさ」が不思議に混じり合った繊細な風情が、心にしみます。
しかし! そんな風情を存分に味わうまもなく、明日から授業が始まります。これもまた、うれしいような、哀しいような不思議な感覚。ともかく、がんばります。(^_^;)
上に、「寒梅館」7階から見た東向き風景写真をあげました。写真ではわかりにくかもしれませんが、大文字が真っ正面に大きく見えます。この高さ、この角度で見えるのは、なかなかの迫力です。
レンタルが始まったばかりの「マトリックス レボリューションズ」を見ました。1、2と見てきたので、最終作も見ておかねば、と思って見たのですが、これは評価が分かれそうな作品です。わたしにとっては、やはり第一作目のインパクトが大きく、2、3はそれに比べると物足りない感じがしました。とは言うものの、一応、ストーリーが完結して、それなりの満足感はありますが。
さて、マトリックス以上にインパクトのあるものと言えば、「冬のソナタ」。第一話、よかったです。昔の日本の学園ものを見ているような郷愁にも魅了されましたが、甘酸っぱさと切なさを印象づけるような映像テクニックも大したものです。とにかく、続きが楽しみです。
韓国の純愛ものには絶えず関心を引かれますが、今日は、それとはちょっと対照的なちょっと驚く記事を読みました。今週号のTIME Magazaineにアジアの離婚ブームについての特集が載っていました。この10年くらいで劇的に変化したようですが、TIMEの表によれば、現在の離婚率は次のようになっています。
South Korea 47%
Hong Kong 41%
Japan 38%
Singapore 26%
China 15%
韓国がトップ。しかも47%となると、ほぼ2分の1の割合ですから、かなりすごいことがわかります。韓国人は、熱しやすく冷めやすい、ということなのでしょうか? 韓国で純愛ドラマがはやるのも、何となく、こうした不安定な事情とも関係があるのではないかと感じた次第です。
今日の朝日新聞の「be on Saturday」に、楽天会長の三木谷さんのインタビュー記事が載っていました。わたしと同じ年生まれだったので、余計に関心を持って読みました。
「人生における最大のリスクは、後悔すること」という主張は、すさまじいばかりの事業拡大路線の哲学となっていることを納得させられました。
「人生は有限。死の前に、『あれをやっておけばよかった』などと悔やみたくない」という言葉にも、三木谷さんの人生哲学を如実に感じ取ることができました。
次の、やり取りには、通常のビジネスを越えた熱いビジョンを見ました。
――そこまで徹底的にやって、しんどくはないですか。
三木谷 ないですね。日本を変えるという夢がありますから。そんな社会的な意義がなければ、自分自身も含め、人間は動かない。
若いうちから、権限と責任を持って挑戦するチャンスは、日本ではまだまだ少ない、と記事は記しています。みなさんは、どんな夢を持っていますか? はて、わたしはどんな夢を持っているのだろうか? そんなことを考えさせられた記事でした。
春ですけど「冬のソナタ」。NHK総合で明日・土曜日から始まります。楽しみです。
今晩、同志社大学(今出川キャンパス)にできた新しい大学会館「寒梅館」7階のフレンチレストラン「SECOND HOUSE will」に行ってきました。(^.^)
来客があって、さりげなく「新しい建物の中に、ちょっといいレストランがあるらしいですよ~」と言って、はじめて足を踏み入れました。なんだかんだで、結局、ごちそうになり、ラッキー!という感じでした。
4月1日付けで、助教授から教授となったのですが、そのお祝いということで・・・
料理もサービスも、かなり本格的でした。同志社には、今までなかったような高級感あふれるレストランでした。7階なので、景色もいい感じ。大文字のときに東側の席を予約していると、ばっちり大文字を見ることができるでしょう(もう予約がいっぱいだったりして・・・)。
建物の名前が「寒梅館」と言います。真夏の盛りでも「寒梅館」! 無茶なネーミングが同志社らしくて、いいです。(^_^;)
■冬のソナタ
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/sonata/
■同志社大学の食堂
http://www.doshisha.ac.jp/zaigaku/riyou/arbeit/syokudo.html
入学式の会場、デービス記念館前で
応援団とチアリーダー
ついに新学期が始まりました。結局、春休みはなかったような・・・(T_T)
泣き言を言っても始まりません。今日は入学式でした。晴天に恵まれ、桜も八分咲きくらいで、キャンパス(同志社大学・京田辺キャンパス)全体が華やいでいました。最高の入学式日和といってよいでしょう。
新入生たちにカリキュラム体系や履修方法、新たに導入されるGPA制度など、ややこしいことをたくさん説明したのですが、一度にすべて理解するのは無理でしょう(わたしも、よくわかっていない?!)。徐々に大学生活に慣れていった欲しいと思います。
もう少しすると授業も始まるのですが、それを考えるとブルーな気分に・・・ いつも自転車操業なものですから。いやいや、ブルーな、なんて言ってはいけませんね。今日の青空のように、晴れ晴れとしたスカイブルーな気分でいきたいと思います。(^_^;)
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