映画「ダ・ヴィンチ・コード」見てきました!
本日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見てきました。
本の内容をかなり忘れかけていたので、復習も兼ねて見たのですが、全体の印象としては、小説を忠実に再現していたと思いました。
もちろん、限られた時間の中ですから、ストーリー展開はきわめて早く、細部は省略されています。
大きな流れに関しては、小説に忠実なのですが、小説にはなかったような台詞もたくさんあったように思います。ティービングと比べると、ラングドンはカトリックびいきな発言を随所でしており、カトリックに対する一種のリップ・サービスかな、と感じたりしました。もっとも、この程度ではカトリック保守派の怒りは収まらないでしょうけれど。
本で読んだ内容を映像として見るのは、それなりに満足がいくものです。しかし、コンスタンティヌス大帝やニカイア公会議、テンプル騎士団、十字軍などを映像として説明するのは、鑑賞者の理解を助けるためとはいえ、少し興ざめの部分でもありました。ただし、ほとんど前提知識のない人には、やさしい心配りとなっているとは言えるでしょう。
映画を見終わって、考えたのは、小説を読まずに映画だけを見た平均的日本人は、どれくらい内容を理解し、また、おもしろさを感じ取ることができるだろうか、ということです。
私が難しいかも、と思った点は二つあります。
一つは、マグダラのマリアについて。言うまでもなく、小説の中でも映画の中でも重要な役割を果たす人物ですが、果たして、マグダラのマリアと聞いて、わかる人がどれくらいいるでしょうか。聖母マリアとの違いも、わからない場合があるかもしれません。
「ダ・ヴィンチ・コード」のおもしろさの一つは、既成の理解と新解釈(ダン・ブラウンによれば歴史的事実となるのかもしれませんが)の間の「落差」にあるわけですから、前提となるマグダラのマリアについての伝統的理解がなければ、ジェットコースター的な落差に心臓をどきどきさせることができないかもしれません。
もう一つ、難しいのではと思ったのは、イエスが人であるのか、神であるのか、という議論。ラングドンは、それなりに説明してくれているのですが、なぜこの二つの違いがそんなにも大事なことなのか、については、かなりキリスト教に精通している人でなければわからないのではないでしょうか。
とはいうものの、他のいろいろな素材が映画をわかりやすく仕立て上げていますので、細かいことを考えずとも楽しめる映画ではあると思います。
世界の各地で上映禁止運動がなされているようですが、日本では、なぜ大騒ぎするのかもわからないまま、多くの人が映画館に足を運ぶことになると思います。ある意味、幸せな国なのかもしれません。