韓国・メソジスト神学大学で
熱は下がり、かなり回復してきました。もう少し休みたいところですが、仕事が山積みで今日も朝から夕方まで、びっしりと用事が詰まっていました。
先週の韓国滞在の記憶も放っておくと、忘却の彼方へと行ってしまいそうなので、少しずつ記していきたいと思います。
初日のメインイベントは、ソウルにあるメソジスト神学大学(学生数1500人)でのシンポジウムに参加することでした。この大学と同志社大学神学部は学術交流協定を取り交わしています。
同志社側からは、越後屋先生(旧約聖書学)が、イスラエルにおける考古学の発掘調査から始まり、聖書のテキストとコンテキスト(この場合、歴史的な事実関係)の矛盾相克にどう向き合うかについて話してくださいました。もともと、解釈者が(自らのコンテキストにおいて)自由に解釈することを許容するポストモダン的な聖書研究からスタートし、なぜ考古学へと向かったのかを語る、ある意味で、越後屋先生の思考の変遷史でもありました。
非常によい話であったので、『基督教研究』に掲載する予定です。
それに対し、メソジスト神学大学の講演者は、オーソドックスな立場からの発表で、教会での語りも、研究者としての語りも完全に一致する、という、まさに葛藤なき立場を示されました。これでは、おもしろくありません(失礼!)。
わたしは辛口の質問を投げかけましたが、少し応用度が高すぎたのか、まったくかみ合う答えを得ることはできませんでした。しかし、韓国の聖書学のスタンダードな姿の一端を見ることができた点では収穫であったと思います。