「正戦論」1600年の歴史
先日、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた読売新聞の記事が送られてきましたので、小原克博 On-Line に掲載しました。
短いインタビュー記事ですが、ご覧ください。
最期の方に、次のような文章があります。
「・・・日本人は戦争の悲惨さから反戦を訴えるが、伝わりにくい。正戦論を踏まえて戦争を議論していくことが有効ではないか」と話す。平和=善、戦争=悪という二分法は、それこそ善悪二元論に陥る危険をはらむ。
ここの部分だけを読むと、わたしがあたかも正戦論者のようですね。(^_^;) もちろん、そのような意味ではありませんので、誤解なく。
変わりゆく状況を視野に入れないで、ただ平和を一本調子で主張し、紛争の当事者を傍観者的立場から糾弾することは、現状を何も変えはしない、ということを言いたかったのです。
こういうやり方では、結局、自分を善の高見に置くことになってしまうので、皮肉なことに、自己絶対化の危険に陥りやすくなります。日本の反戦平和主義が、どのように機能しているのかを、反省的に見直すべきだということを記者の方には語りました。
ちなみに、この記事は読売新聞の「宗教はいま」というコーナーに、アメリカを支える右派「神学」という大きな見出しのもとに掲載されていました。もう一人のインタビュー対象者は、関西学院大学の栗林輝男先生でした。