ヨハネ・パウロ2世逝去
ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、世界中のメディアがそれを報じています。
わたしは、授業の中で、ヨハネ・パウロ2世のことに頻繁に触れてきたこともあって、やはり寂しさを禁じ得ません。もちろん、彼の超保守的な立場から発せられる見解の多くに、わたしは賛同できませんでしたが、数々の歴史的過ちを認め、乗り越えようとしてきた行動力には、大いに敬意を払ってきました。
その点で、傑出した教皇であったことは異論の余地がないでしょう。
しばらくは、日本のメディアも大きく取り上げていくことでしょうけれど、比較的詳しい情報がカトリック中央協議会のサイトに出ていますのでご参照ください(下記参照)。後継者選びのことについても説明があります。また「用語説明」は秀逸。へぇ~!という発見があるはずです。
コンクラーベという日本人にとっては、しゃれにも聞こえてしまうような選挙を通じて、120人ほどの枢機卿の中から教皇は選ばれるそうですが、候補者にあがっているのは、ほとんど70歳以上のご老人です。もっとも若い候補者でも60歳代。
枢機卿の中から選ぶわけですから、年齢が高いのは仕方がないとも言えます。しかし、カトリックの教会法の上では、教皇の条件は「カトリックの男性」であればよいことになっていますから、もっと若い人が教皇になった方が、よいと思うのですが。
たとえば、40歳代の人が教皇になれば、健康上の問題で気をもまなくてもよいですし、カトリック全体の雰囲気が変わると思うのですけど。
キリスト教がまだキリスト教という名前すら持っていなかった、イエス運動と最初期の教会においては、活動の中心的担い手はもっぱら若い人々でした。若さにあふれた運動が、組織化と共に、高齢化していくというのは、何もキリスト教に限った話ではありませんが、やはり深刻な問題です。
年寄りが悪い、ということを言いたいわけではありません。そんなこと言うと、"age discrimination"になってしまいます。そうではなく、高齢者が組織運営することが当然のことになってしまうと、信仰にとって大切なものが失われることが、しばしばある、ということです。残念ながら、日本のキリスト教界や仏教界で、こうした危険性を十分に自覚できないまま、世代交代に失敗し、組織そのものを疲弊させている例を多く耳にします。
信仰の刷新、組織の刷新は簡単な問題ではありませんが、生き生きとした生命(信仰)の循環性を、組織がいかに体現していくことができるのか、やはり知恵を絞らねばならないと思います。
■特集:教皇ヨハネ・パウロ2世(カトリック中央協議会)
https://www.cbcj.catholic.jp/pope/index.htm