仏教徒とマザーテレサとの出会い
昨日の話の続きです。
講師の一人に中村行明師がいました。彼は学生時代に日本を飛び出し、インドを放浪する中で出家しました。その後、25年近くインドに滞在し、様々な活動をしてこられたことを講演では話してくださいました。
この講演の内容が感銘深かったのは言うまでもありませんが、わたしの印象に残ったのは、彼と立ち話していたとき、彼がふともらしたエピソードです。
彼はキリスト教が嫌いで、そのような先入観から、マザーテレサには当初、うさんくささを感じていたとのこと。ところが、初めて出会ったとき、マザーテレサが光り輝いていることに驚いた、と言っていました。
それから、マザーテレサが、インドの男社会の中で、女性を中心とした活動をし、シスターらしい身なりをしないで、現地の女性がまとっているサリーを自らもまとい、また、バチカンの反対にもかかわらず、死にゆく人々に手をさしのべる姿の中に、とてつもない精神の深さを感じ取ったというのです。
それ以来、マザーテレサが亡くなる20年近い、付き合いをしてきたと中村上人は、感慨深げに語っていました。
わたしは、まるで不信心者のように「ほんと~に、光り輝いていたんですか~?」と尋ねると、「本当に輝いて見えた」と言うのです。
マザーテレサが、ただ者ではないことは明らかです。しかし、同時に、その輝きを認めることができた当時の中村青年も、大したものだと思いました。
輝くような内なる力を持つこと、また、それを見抜く力を持つこと、そのいずれもが貴重なのだということを考えさせられました。