クムラン、マサダ、死海
今日はエルサレムを離れ、死海の西側を回りました。今日は何と12枚の写真をつけて報告したいと思います。
最初は、死海写本が見つかったクムランを訪ねました。死海写本の発見により、クムランにはクムラン教団(エッセネ派)と呼ばれるユダヤ教徒が住んでいたことがわかっています。2000年ほど前には、ユダヤ教と言っても、サドカイ派、ファリサイ派、熱心党(ゼロータイ)などに分かれており、クムラン教団は、自らをSons of light(光の子)と呼び、エルサレムの宗教指導者たちや世俗権力をSons of Darkness(闇の子)と呼んで、「浄さ」を重視した禁欲的な共同生活を送っていたと考えられています。
そのクムラン教団が生活をしていた場所を発掘したものが上の写真です。
このクムランで驚いたことが一つありました。どこかで見た顔の人がいるな~と思っていたら、東北学院大学の西谷先生(専門は旧約聖書)とばったり出会いました。こんなところで出会うとは、偶然のなせる業としては驚くばかりです。
死海写本は全部で11の洞窟から見つかっています。その内の一つが上の写真です。写真で見ると、けっこう近そうに見えるのですが、実際には、かなり急な岸壁にへばりつくように存在しています。
ちょっと危なかったのですが(ちゃんとした道はありません)、せっかく来たので、岩場をよじ登って洞窟にたどり着いて、その洞窟内部から撮ったのが上の2番目の写真です。
かなり汗をかきましたが、洞窟からの眺めは絶景でした。
マサダは、1838年にドイツ人の研究者に見つけられるまで、その場所がわからなかった、ユダヤ戦争(CE70-73)時の砦です。70年には、すでにエルサレムはローマ軍の攻撃によって、ローマの手中に落ちていました。最後まで抵抗し立てこもった要塞がマサダでした。しかし、最後はローマ軍に包囲され、侵入される前に900名ほどの人たちが自決したと言われています。ユダヤ戦争の一連の出来事は、ヨセフスの『ユダヤ戦記』に詳しくかかれているのですが、発見されるまでは、長らくマサダのことは忘れられていました。
発掘されてからは、ユダヤ民族の誇りと結束の象徴として、多くのユダヤ人たちが訪ねる場所となっています。
マサダ陥落後、ユダヤ人たちの2000年近いディアスポラ(離散)の歴史が始まったわけですから、ユダヤ人にとって、特別の意味を持つことは想像に難くありません。
もともとはヘロデ王が離宮として建設しただけあって、当時の最高の技術が用いられていました。砂漠の中にありながら、4万トンもの水を貯蔵できる貯水槽や、ローマ式の温水式浴室(上の2番目の写真)などが400メートルもの断崖絶壁の上に存在していたのですから、驚かざるを得ません。
今回は、上の3番目の写真にも写っているケーブルカーで頂上まで登りました。15年前、ドイツ留学中に来たときは、まったくの貧乏旅行であったため、頂上まで歩いて上り、たどり着いたときには、ふらふらになっていたことを、なつかしく思い出しました。
マサダで暑い思いをした後、死海で泳ぎました。上の写真にあるように、濃い塩分のためプカプカと浮いてしまうのです。おぼれることが絶対にないので、対岸のヨルダンまで泳いでいこうかと思ったほどです。(^_^;)
上の2番目の写真にも写っていますが、女性が体中に泥を塗る光景もよく見られます。お肌に非常によいそうで、イスラエルのおみやげ屋さんでは、死海の泥をよく見かけます。日本へのおみやげとしては、あまり歓迎されそうにありませんが・・・
プカプカ浮かびながら、雲一つない空を眺め、対岸に広がるヨルダンの山々を眺めていると、地球の広大さを感じるとともに、俗世のことに煩わされている自分の存在がばかばかしく思えてきます。ゆったりとした空間の広さ、悠久の時の流れに身を任せるような感覚が、少しよみがえってきたようにも思いました。
さて、上の写真では今日見た野生動物をあげました。らくだも羊も、ベドウィンの人たちにとっては大昔から変わることのない生活の友なのでしょう。
ひょこり現れた鹿(何という種類なのかはわかりませんが)は、カメラ目線で、じっとこちらを眺めていました。これは、なかなかいい写真だと自分では思っています。(^_^;)
これらの野生動物は、日本ではあまりなじみがありません。聖書には「主はわたしの羊飼い」という表現があちこちに出てきます。羊は羊飼いがいないと、同じところをぐるぐる回って、最後は死んでしまいます。羊を導き、羊の命を守る羊飼いと羊の関係は、やはり、こうした場所で直接に見ると、そのリアリティを増してきます。
ユダヤ教にとって土曜日は、労働をやめる安息日です。ユダヤ教では、一日は日没から始まりますので、金曜日の日没から、翌日の日没までが安息日となります。もちろん、日没の時間は毎日変わりますので、安息日が何時から始まるかは、新聞などに書かれています。
上の写真は、宿泊しているホテルにある3台のエレベータの内の一つです。"SHABBAT LIFT"と書かれています。正統派ユダヤ人には、安息日にエレベータのボタンを押すことも、労働になると禁じられています。したがって、ボタンを押さなくても、エレベータに乗れるように、安息日になると"SHABBAT LIFT"はボタンを押さなくても各階に自動的に止まるように動きます。
"SHABBAT LIFT"はイスラエルのほとんどすべてのホテルにありますし、また、大きな建物には多くの場合、"SHABBAT LIFT"が設置されています。
日本人からすれば、安息日は馬鹿げた習慣に見えるかもしれません。しかし、特定の日に、すべての労働をやめる、という習慣は、拘束的なものではなく、むしろ、すべての労働から解放され、本来の自由を回復する日であると考えることもできます。もちろん、ユダヤ教では、その自由を神への礼拝にささげるわけです。
(やむを得ず!)朝まで仕事をして、日が昇る頃に寝るような生活をすることのあるわたしにとっては、ある意味で、安息日はうらやましい習慣でもあります。24時間オープンのコンビニが所狭しと立ち並んでいる日本社会では、時間のメリハリが、どんどんと失われていっています。時を見極める目が失われていると言い換えることもできるでしょう。
「すべてに時がある」と聖書は語りますが、みなさんは、時を見極めることのできるような、成熟した時間感覚をお持ちでしょうか。あるいは、スケジュールを埋めたり、それに追われたりするだけの生活をしているのでしょうか。
そうしたことを、ふと考えさせられた一日でした。