ヨンセイ大学での国際シンポジウム
J・モルトマンとは初めて会いました。本はたくさん読んでいますが、やはりご本人と会うと、ちょっとカンドー。って、ミーハーですかね。
モルトマンを招待したのが、彼の弟子にあたる先生だったので、会話がいきなりドイツ語でした。その先生はあまり英語が得意ではないので、わたしもドイツ語で打ち合わせをする羽目になりました。韓国でこんなにドイツ語をしゃべることにはなるとは夢にも思っていませんでした。難しい言葉はすぐに出てこないので、やはり困ります。
シンポジウムでは英語が基本で、ところどころで、学生の便のためハングル(韓国語)で要約していました。
わたしの話の内容自体はかなり論争的な内容なので、最初の数分間、自己紹介をかねて気楽な話で始めました。
アンニョンハセヨ、と言うと、大きな声でフロアーからアンニョンハセヨと返ってきて、いきなり気をよくしました。日本では、なかなかこうはいかないです。簡単な自己紹介をハングルでした後、昔、ハングルを習ったことがあることや、今、日本では韓国文化の影響が大きくなっていることなどにも触れました。
毎週土曜日には「冬のソナタ」を見るのを楽しみにしている、とか、お気に入りの歌手はBoAです、とか言うだけで、十分にうけていました。
本題に入る前に、少しだけ気配りをして、「モルトマン教授の著作からは多くのことを教えられてきました」といったことを述べて(これはお世辞ではなく、本当のことですので)、それからあとはモルトマン講演の批判に入っていきました。
モルトマンがどんな顔をして聞いていたのか、そこまで気にする余裕はありませんでしたが、しきりにメモを取っていました。もちろん、批判に対する反論の準備をしていたわけですが。
わたしのあと、ヨンセイ大学の先生二人が短いコメントを述べ、司会者がまとめたあと(ハングルなので何を言っているのか、わかりませんでしたが)、モルトマンがわたしに反論を述べてきました。本筋というよりは、かなり枝葉の部分に対する反論であったため、わたしは「こりゃ逃げたな」と感じましたが、少しでも本筋に話を戻すため、反論に対して、さらに反論を加えました。
「人権は普遍概念か」「人間は人間中心主義から自由になれるのか」「近代化が自然から奪った「たましい」のかわりを "creation diginity" が果たせるのか」「権利概念は人権から自然(地球)の権利にまで拡大できるのか」といった問いを再提起しました。
モルトマンの答えは、すべてYES。わたしの答えは、すべてNOです。
対立軸をはっきりと際だたせることができたので、聴衆にとってはけっこうおもしろかったのではないかと思います。
シンポジウムの後、簡単な立食パーティがあって、そこで参加した学生や先生たちとも話す機会がありましたが、わたしの立場に共感してくれる声を多く聞けて、少しほっとしました。
しかし、モルトマンの知識量は豊富であり、年を取ったとはいえ、知的にはまだまだアクティブでした。偉大な神学者であることには間違いありません。