遠藤周作「沈黙」
土曜日の朝日新聞 be on Saturday に遠藤周作の「沈黙」が特集されていました。
紙面の一部は下のアドレスからご覧いただけます。このアドレスのページには記されていないのですが、紙面で、わたしが「へぇ~」と思ったことが一つありました。遠藤の遺言で棺には「沈黙」と「深い河」が入れられた、というのです。数ある著作の中で、この二作を選んだということは、それなりの意味があると思います。
学生がゼミ発表で遠藤の作品を取り上げることがあるので、わたしも継続的な関心を寄せてきました。はじめて「沈黙」を読んだのは、高校生の頃でしたが、ずいぶん考えさせられた記憶があります。
その後、ドイツに留学していたとき、ゼミの中でドイツ人の学生が遠藤の「沈黙」(Schweigen)をテーマに発表したのを聞き、ディスカッションする中で、あらたに関心が深まったことも、まるで昨日のことのようです(実際には、ずいぶん昔の話ですが・・・)。
このきわめて日本的な舞台設定の作品が、英語やドイツ語に限らず、多くの言語に翻訳され、また読み継がれているのには、キリスト教に根ざした共通の関心があるようです。
本のタイトルにある「沈黙」は、ユダヤ教やキリスト教の歴史の中では、「神の沈黙」を想起させます。もちろん、遠藤も、このテーマに向かっていったわけです。西欧キリスト教とまったく異なる土壌において、この普遍的なテーマが、斬新な形で問われていることに、多くの外国の読者も関心を喚起されるのでしょう。
遠藤の作品は、伝統的なカトリックの立場からは、時として辛辣な批判をあびてきました。
ここで細かいことを述べる余裕はありませんが、そのような批判を引き受けながらも、独自の世界を築いてきた遠藤の精神に、わたしは共感し、また、そこから多くの刺激を得てきました。
「沈黙」同様、「深い河」もおすすめです。
神学の言葉で言うなら、「沈黙」は「神義論」(theodicy)を「深い河」は「宗教多元主義」を考える上で、非常によい素材提供をしてくれます。
■私は沈黙していたのではない 遠藤周作「沈黙」(朝日新聞)
https://www.be.asahi.com/20040522/W21/0001.html