ボンからケルン、ハノーファー、そしてハンブルクへ
今、ハンブルクにいます。
昨日は、早朝にボンで一つアポイントメントがあり、その後、ケルンそしてハノーファーで、それぞれ一つずつプログラムをこなし、ハンブルクに到着したのは夜の9時過ぎでした。なかなかのハードスケジュールであったわけですが、列車での旅行が好きなわたしにとっては、移動の時間は、少しほっとさせられる時間でもありました。
インターシティをはじめ、ドイツの列車は座席がゆったりしており、なかなか快適です。車窓から、移り変わる景色を眺めるのが好きです。ドイツの北の方は農耕地帯が多いので、牧歌的な景色が続きます。時折、街もありますが、小さな街が点在するに過ぎません。そんな変哲もない景色が、妙に心を和ませてくれます。
さて、上の写真はボンで「イスラム中央協議会」(Zentralamt der Muslime in Deutschland E.V.)のホフマン博士(写真・左)と話し合っている場面です。ホフマン博士は、アルジェリアやモロッコのドイツ大使を務めたこともあり、含蓄のある話に様々な関心を喚起されました。公立学校での教師のヒジャーブ着用の是非をめぐる問題に始まり、十字軍やジハードなどの問題にも話は及びました。
ジハードが「聖戦」と見なされているのは誤解であるという見解には、同席したムスリムの友人たちが、口々に同感の意を示していました。「聖戦」は十字軍に帰せられるべきであり、十字軍はムスリムにとっては、忘れることのできない集合的な記憶(collective memory)であると強調されていました。
毎年、木曜日の第3週が「オープン・モスク」の週に定められているらしいのですが、9.11以降、それまでたくさん来ていたドイツ人たちが、すっかり来なくなってしまった、と語っておられました。
また大使の経験から、イスラーム諸国の中には、政治腐敗や人権無視が横行している国が少なくない、ということも率直に指摘されていました。そうした国には、むしろ外側からイスラームを再輸入する必要があるのだ、という主張には、イスラームと政治の結びつきの強さを再確認させられる思いがしました。
ボンを後にして、ケルンでは、「ムスリム女性センター」(正確には、Begegnungs- und Fortbildungszentrum Muslimischer Frauen)を訪ねました。この世界には、20以上の国籍のムスリム女性が多数集まってきているとのことで、ドイツ社会においてムスリム女性の社会的地位の改善のために、様々な努力がなされているのが、印象的でした。ドイツ語、コンピュータ、イスラームに関するクラスがあるだけでなく、家庭の問題などを相談できるようなカウンセリング・サービスもあります。
決して安定しているわけではない経済的基盤の上で、自分たちの活動について力強く、そして希望を持って語る彼女たちの言葉には心打たれるものがありました。
ケルンから2時間半ほど列車に乗ってハノーファーに向かいました。ここから先は、わたしが一行の添乗員を務めることになりました。(^_^;) 「ドイツ語もできるし、一番しっかりしているから・・・」等々、うまく言いくるめられ、結局、引き受けることになったのでした、キャンセルされた座席の払い戻しなど、ややこしい事柄をドイツ語で説明するのは、けっこう大変でした。また、すぐに行動してくれない人もいますので、列車が動き出してから、扉から飛び降りるという、冷や汗ものの場面もありました。
列車にもよるのですが、ヨーロッパでは自分の手で扉を開けるタイプのものが少なくありません。ですから、発車前であれば、扉を開けていて、そこから乗り降りできるのですが、アブナイので普通はやっていはいけません。(^_^;)
ハノーファーでは、ドイツ福音主義教会(Evangelische Kirche in Deutschland, EKD)を訪ねました。そこでイスラーム対話部門の責任者と話をすることができました。わたし自身、かなり批判的な質問をいくつも投げかけたのですが、一つひとつに丁寧に答えてくださり、また、関係の資料をたくさんいただきました。
かつて、マイノリティとしてのムスリムをめぐる問題は、トルコをはじめとする外国人労働者(Gastarbeiter=guest workers)に焦点が当てられていたのですが、今では、社会の関心は、キリスト教とイスラームとの対立という点にシフトしてきている、とのことでした。確かに、今やドイツ国内に三百万人以上いるムスリムは、もはや「お客さん」とはいえない存在感を持っています。
ここでも、政教分離の多様性の問題が触れられていました。ドイツは世俗国家であることに違いはないが、フランスとは異なり、政府と教会は協力関係にある、といったことが語られていました。EUの中だけを見ても、政教分離は実に様々です。日本でも、そうした多様性について、関心を向ける必要があるでしょう。
その後、列車でハンブルクに向かい、夜遅くにホテルに到着後、魚料理を食べにでかけました。港町ならではの味わいを楽しむことができました。